人は誰しも自由に生きていきたいと思います。しかし、生活のためやそれのみならず、その他諸々の条件により、思い通りではない生き方にならざるを得ない時もあります。よって、自分の人生を諦めてしまったり、ずっと不自由だと思いながら生きている人もおられると思います。
そもそも自由と云うのは、自分の意思で判断、選択をして行動できることだと思います。そして、その結果については自己責任と言うのがセットになっていると思います。
片や、不自由と言うのは、自分ができるであろうと思っていたことが、出来なくなった時、不自由だと感じてしまいます。しかし、最初から出来ないと思っていることができなくとも、それは不自由とは思いません。
結局は自由と云うのは、誰かから与えて貰うのではなく、自分で切り開いていくものだと思います。
自分で切り開くということは、今現在自分が置かれている中で自分の世界を少しでも広げて行くことだと思います。
辛かったり、逃げたくなるような状況であったとしても、その中で自分の凝り固まった受け取り方を、少しでも楽しくなるように見方を変えたり違う受け取り方をして、自分自身をほぐして行って、不自由の壁に穴をあけていくことだと思います。
そしてその穴から、今まで見ていなかった未来を自分で自由に創って行くのだと思います。
たまたま最近ある方とお話をしていて、人生が苦しくてどうしたらよいかわからないということになりました。
お話を聴いていても、私とその方の見ているもの、描いているものが全く違っていました。
私から見れば、その不自由さは、自分の発想で手放すことが出来るものでした。
今日、その方から「今までが苦しかったから、今は天国」とメールが届きました。
その方は、不自由だと思っていた世界に風穴を開け、楽しみを見つけて自由を創造されたのだと思います。
人は往々にして、気付かぬうちに自分で自分を束縛して、息がしにくくなってしまう時があります。
人は誰しも生まれた時から自由の種を持って生まれてきていると思います。ただ、不自由な世界を当たり前のように見せられ続けると、自分の中に自由の種を持っていたことを忘れてしまうのです。そして段々と苦しくなっていくのです。
しかし、自分の中の自由の種に気付いた時、人はその種を育てて花を咲かせることを知るのです。
自由な未来は自分で切り開き、新たな世界を創り出す。他人が創ってくれる訳でもありません。
それに気が付けば、これからどんな所にいても、どんな状況に於いても、自分の世界を創ることは出来ると思います。
じゃ、また明日!