私達戦後教育を受けた者は「答えのある問い」ばかりを教えられてきました。教科書をひっくり返せば答えがあったり、正しく計算すれば答えに辿り着いたりと。
それらの問いは、そもそも「答えありき」で出題側が先に答えを持っており、それと一致しているかどうかをチェックするものです。
反対に「答えのない問い」は、哲学や道徳といったような、答えが決まり切っているものではなく、また、答えが1つとは限らないものです。
例えば、「正義とは何か」「約束を破るのは良いか悪いか」「嘘をつくのは良いか悪いか」「人の顔色を見たり態度を変えるのはどうなのか」など、人によっても答えが違うし、どれが正解だとは定められないものです。しかし、答えには論理性が重要になってきます。
最近、小学校でも取り入れられ始めている「主体的に考える力をつける」というのは、「生きる力」を育むことにも通じると思います。「答えのある問い」というのは、調べたり計算したりすれば、必ず答えに辿り着くものです。しかし、それさえも、AIに聞けば一瞬にして全員同じ答えを得ることが出来ます。
問題なのは社会に出てからです。目の前で起こっていることには答えなどありません。それをどのように対処していくのか。現代社会で重要なのは「問題解決力」です。
まず、「問題は何なのか」そして「その問題点を分解して、考えやすい形に構築する」という作業が必要になってくるかも知れません。問題を最適化できれば後は解決策を考えて行動に移すだけです。
この考える練習を小さい時から学んでいれば、社会に出てからも困ることなく、考えて自分で答えを導くことができると思います。
そういう若者が沢山出てくると、よりよい社会になっていくと思います。
私たちは、ともすれば社会に出てからも「答え合わせ」をしようとしています。
答え合わせの人生は自分の人生ではありません。その答えを導いている人の人生です。
そう思えば、なおさら早くから「答えのない問い」の答えを自分で考える練習が必要だと思います。
「答えのない問い」の答えは自分の価値観であり、自分の人生観でもあると思います。
その上で「答えのない問い」の答えを持った者同士が議論できれば、かなり面白い会話ができると思います。
例えば、信頼関係を築くのにも、自分と共感できる人を選ぶようになると思います。また、違う答えを持った人とも自分の世界を拡げるために信頼関係を築くかもしれません。
そこでの関係は嘘をついたり、ごまかしたり、約束を破ったりするのは論外で、そういう人とは未来を一緒に築くことはできません。
「答えのある問い」と「答えのない問い」の解き方によって、その人の人生も大きく変わると思います。
じゃ、また明日!