エゴ=自我というのは、あまり良いイメージで使われなかったように思います。
よく使われるのが「エゴが強い」とか。これは「あなたは我が強いですね!」と言われたようで、自分は我ままなのかと、あまり良い気持ちはしませんでした。
しかし、エゴ=自我なので、自分を守ろうとする気持ちの自分の「思い」からきている部分もあると思います。
私が高校1年の時だったと思いますが、国語の教科書に「自我の目覚め」というのが掲載されており、ちょうど自分自身の自我が目覚め始めていたので、その時の授業は自分の成長に良い刺激を与えてくれました。友達との人間関係も考える時期だったので、仲良しこよしでトイレに行くのも一緒という状態から、自分1人で行ってもよいのにと思っていたので、その教科書には少なからず影響を受けたと思います。
クラスの中の自分、学校の中の自分。一人ひとりが独立した人間なのだから、違って当たりまえだし、違っているから認め合うのだと思います。
自分を守るためのエゴは、人との比較によって自分を守ろうとしているのだと思います。
「あの人より、自分の方がブランド物を持っている」「あの人より、自分の方が良い車を持っている」「あの人より自分は良い相手を見つけた」「あの人より自分はすべての面において優れている」と。
そのようにして自分を保っていたのだと思います。
反対に何かやろうとしても周りから反対されるので、結局は現状維持の状態を保つのだと思います。
エゴが強すぎると意地の張り合いや、プライドの競争などで苦しみの原因にもなります。
反対にエゴが弱いと、劣等感に繋がったりもします。
結局は自分の中での「バランス」なのかも知れません。
人が人を見る時には見る人によって色々な目線があると思います。
「決めつけ目線」であったり「達観目線」であったり、「自分特別目線」であったり。
これらもそれぞれ1つのエゴのようです。
結局は視点が変われば見方も変わるので、絶対的な正解はないようです。
よって、人の考えや意見に振り回されず、自分の意見というものを持っておくのが大切です。
そしてその上で、自分が自分のエゴに振り回されそうになったら、その自分のエゴも手放してみるのも1つかも知れません。
そもそも、縛りや束縛というのは、人からされていたと思っていたけれど、もしかしたが自分が自分を縛っていたり束縛したりしているような気がしてきました。
じゃ、また明日!