人は不安になったり、囚われたりすると、そちらにばかり気を取られます。気にしないでおこうと思っても、ついついそのことが頭に浮かんできます。よって、心配してコントロールしようとするけれど、どうにもならず、気持ちだけが囚われた状態になるばかりなのです。
よく言われているのが「コントロールできるものと、できないものを分けろ」と。そうは思っても、やはり気になってしまうのです。
コントロールできるものは、自分が動いたり、努力すれば解決します。しかし、コントロールできないものは、より不安を感じるし、変わらないものをどうにかしようとあせってしまいます。よって、変えられないものは放っておいて、変えられるものに注力すると言うのが正解だと思います。
例えば、自分が最高傑作の本を書いたとしても、それが売れるとは限りません。最高傑作の本は自分が書くのだから、どういうものを書くのかはコントロールできます。しかし、それが店頭に置かれたとしても、買うのはお客様なので爆発的に売れるとは限りません。これもよく聞かれる言葉ですが「良い本が売れるとは限らない」というのも同じだと思います。
結局は自分以外のものはコントロールできないのだと思います。そして、そこで「外的要因はコントロールできない」とわかると、自分が解決できる問題なのか、できないものなのかを分ける必要があると思います。
天気予報や、アメリカ大統領の一言での株の乱高下など、いくら逆立ちしてもコントロールできるものではありません。また、他者の行動なども自分がコントロールできるものではありません。
特に人に関しては、相手を変えることはできませんが自分の感情の受け取り方を変化させることはできます。よって、自分の解釈の仕方、事実の見方を変えれば、現状を変えることもできるのです。
自分の心の居心地の悪さの中で時間を費やすのはもったいないと思います。だらだらと感情に振り回されるのではなく、現状を変えるために自分はそれをどう解釈するのか、その心配は本当に自分にとっての心配事なのかどうか、それらは積極的に時間を決めて集中して心配すればよいと思います。集中しないで何となく引っかかった状態にしておくから、ダラダラと時間を過ごしてしまうのだと思います。
「自分を縛るのは だれでもなく 思い込みだけ」と言われるように、思い込みが自分をがんじがらめにしている可能性は大きいと思います。よって、自分の視座・視点を変えて思い込みから解放された自分に戻ることが、自分がコントロールできる時間を増やすことになり、よりよい自分に近づけるのではないかと思います。
自分がコントロールできるものとできないものを特定していく。
それが結局は自分のしあわせにも繋がると思います。
じゃ、また明日!