人は何事に於いても「より完璧なもの」を求めてしまいます。それが製品などであったら歓迎なのですが、対人間関係となると、求め切れないものがあると思います。
他人との関係以前に、先ず自分の不完全さを認めることもなかなか出来ません。自分の弱さを受け入れるということは、出来ない自分を認めることであり、そういう出来ない自分を責め続けることにも繋がります。
しかし、完璧な人など一度も出逢ったことがありません。人は誰しも不完全だと思います。だから、お互いの弱さを補い合うようなつながりが必要になって来るのです。自分の弱さを受け入れて「助けて」という一言を言えば、その言葉が他の誰かの強さを引き出すことになるのです。
人は助け合い、活かし合い、分かち合う関係が出来れば、相手に完璧など求めたりしません。むしろ、その不完全さを容認しつつ、退け合うのではなく助け合う。その精神を持っていたら、人を批判したり、人の足を引っ張ったり、自分の価値観に人を押し込めたりはしないと思います。
自分に足りないピースがあれば、そのピースを持っている人に助けを求めれば良いのです。助ける方も十分ピースを持っていれば、人の役に立ったと自分を認めることが出来るのです。これが助け合い、活かし合い、分かち合うことによって、お互いを補うことが出来、前に進めることも出来るのです。
相手の不完全さを治そうとしても、思うようには行きません。そんな時、思うように変わってくれないと、自分が怒りだす時があります。それでは後味の悪さが残り、ともすれば後々の人間関係もヒビが入ります。
相手を正そうとすればするほど、反発が生まれ、関係が悪化してくるのです。
不完全さを受け入れることが出来たなら、お互いが成長することが出来、お互いの長所を伸ばすことが出来ると思います。人は不完全です、不完全だから自分が持っていないピースを貰いながら、相手の持っていないピースを与えることが出来るのです。
そのためには自分がより多くのピースを持てるよう、日々徳を積むことも必要です。そして、自分の不完全さを認めることが出来れば、自分の中で余っているピースをどんどん人に与えていけば、より自分を認められるようになると思います。
相手の不完全さを認める関係、相手の不完全さを受け入れることが出来る関係。そうしながら1つのジグソーパズルを完成させていくのも、生きている証だと思います。
じゃ、また明日!