私は長い間、他人が決めたレールの上を歩いていました。そのレールは世間という人が安全だと決めたレールです。
小さい時から「こっちのレールを歩きなさい」「あっちは危ないからやめておきなさい」「安全な道を歩くのがしあわせなんだよ」と言われ、素直に言われたことに従っていました。
確かにその道は安全でした。元々危険なものは除かれていたので、自分でどうこうするものは何ひとつありませんでした。しかし晩年になってから「あなたは他人の敷いたレールの上を歩いて、それで人生を終えてしあわせですか?」と問われました。
そこで初めて「自分が生きると言うことは、どういうことか」を考え始めました。
自分が生きると言うことは、何事も自分が考え・判断選択し・行動に移すことです。
旅行に行くときは先ずどこに行きたいか目的地を決めます。
何か事故があって到着が遅くなる場合、それも計画の段階でアクシデントがあっても大丈夫なように、時間の余裕を入れて計画をするのです。それが自分の判断に対する責任です。
他の人がこのルートで行けば良いよ!とアドバイスしてくれて、その通りに従った場合、次もまた他人を頼ってしまいます。そうなると、いつまで経っても自分で調べて自分で決めて行動するというチャンスを逃してしまう事になります。そして、乗り物を決めたりルートを決めたりする時に、どこの景色を見て何を食べるかなど、楽しい想像も味わうことが出来ません。それらはすべて自分が準備する時に想像できるものなのです。
どこか旅行に行きたいという純粋な想いが、純粋な計画を立てることになるのです。
目的地を決めるのは自分です。他人が目的地を決めるのではありません。それだったら他人の旅行になります。
目的地に行くための乗物を決めるのも自分です。ゆっくり景色を眺めながら行きたいのか、早く目的地に着いて、目的地でゆっくり観光したいのか。或いは途中下車して寄りたい所によって行くのも、自分が決められるのです。
一生に一度のこの上ない旅行は、全て自分自身が選択できるものなのです。他人がそこは危ないよと言っても、その危なさに掛けてみるのも自分自身の選択なのです。もしも危ないからと止めてしまったら、もしかしたら一生後悔することになるかも知れません。危険を承知でチャレンジしたい旅なら、アクシデントがあったとしても後悔は無いと思います。
人生という自分の乗物は自分が決める事ができるし、その乗り物で何処へ行くのかも自分の判断選択です。
自分が決めたことを、行動に移せるということは自分自身にしあわせをもたらすことになります。
自分の乗物は自分で決めて自分で運転する。
それが一番のしあわせの道だと思います。
じゃ、また明日!