私が購読しているメルマガの著者の方々は、どういう訳か叩かれる人が多いです。間違った考え方ではなく、人に貢献している方々なのに、人気が出てきたら、或いは購読者が増えてきたら、急に反転して叩かれ出します。些細な上げ足を取って騒いでみたり、向き合う価値の無い事で言いがかりをつけて来たり。
結局アンチと呼ばれる人は、自分にないものねだりで羨ましくて仕方がないのだと思います。自分が出来ない事をやっているし、皆から認められている。自分も認めて欲しいのに、自ら行動を起こす事を何もせずに、ただ横から眺めて自分も構って欲しいというばかり。そういう気持ちが人の足を引っ張る行為になるのだと思います。
本当に人が集まって来る人は、それなりの努力をしておられます。地道に勉強を重ねながら本も沢山読み、かなりの努力をしておられます。そういう見えない所を見ずに、表に表れている部分だけを見て、嫉妬心からちょっかいを出してくるのです。
両者の違いは、人生観の違いだと思います。自分の生き方の違いです。そこを抜きにして人を羨ましがって足を引っ張っても、その人の思う人生は送ることは出来ません。足を引っ張る時間があるなら、なぜそういう人達に皆はついて行くのか考えれば良いと思います。自分がやっていない事をしていないなら、自分もやればいいのです。
人生観は人によって十人十色です。個人レベルでそこそこ生活が出来れば満足だという人もいれば、会社に属して安定した収入や組織の中で守られて生きるのが良い人もいるでしょう。はたまた大欲を持ち組織に頼らず自分の創造性を発揮する人もいるでしょう。
そもそも自分の人生観と違う人を見て羨ましがっても何の意味も無いと思います。その前に自分はどういう生き方をしたいのか、自分の人生観をじっくり見つめる方が先だと思います。
自分の意志で動き続けている人は目立つし、人が集まるので、嫉妬の標的にはなりやすいと思います。しかし、そういう人はいくら揶揄されようが相手にする時間が無いので、かすり傷にもなりません。むしろそれを逆手にとって、より新しい創造を発揮したりします。そして、その1つ1つがまた自分の経験として積み上がって行くのです。
自分の人生を考えた時、どういう生き方をしたいのか。自分の持ち時間をどのように使いたいのか。それを意識している人と、意識していない人の差が、その人の生き方を創っているのだと思います。
私利私欲ではなく、大欲を持っている人は、絶えず世の中に貢献する事、お客様が喜ぶ事、人々が喜ぶ事しか考えていません。だから魅力的だし人が集まって来るのだと思います。自分だけの世界ではなく、どんな些細な事でも社会に価値提供できるという事は、その人なりの意味ある人生を送られていると思います。
自分の人生は自分が切りひらくしかないのです。人の生き方に目が向いている時は、自分の人生をほったらかしにしている時です。1回きりの人生、どうせなら価値提供できる自分になりたいと思います。
じゃ、また明日!