何かを教えたり習ったりするには必ずと言って良いほど場所が必要です。
最近では、講座類はZOOMなどでするので、必ずしも場所というのは必要ないかも知れませんが、最終はリアルで直接学びたくなってくると思います。
特に座学だけではなく体験学習となれば、それなりの学びの場というものが必要かと思います。例えば空手でも武術でも師の所へ出向いて教えて貰います。それが合宿となれば、昔の言葉で言うと「同じ釜の飯を食う」効果があるからだと思います。
よって、師にあたる人はいつもそれにふさわしい場所を考えています。
最初は勿論小さな場所から始め、弟子が増えてくれば段々手狭になるから大きな所へと移って行くのです。そして最終的には、総本山的な場所に落ち着くのです。
なぜそういう場所が必要かというと、安定した学ぶ場というものがあれば、いつでもそこに行けば学べるという安心感もあり、〇〇を学ぶにはあそこへ行け!となって来るからです。そういう意味では段々大きくなってくると、本拠地というものが必要になって来るのではないかと思います。
「自分の拠点を持つ」というのは場所だけのことではないと思います。そこには学ぶための環境は勿論ですが、それ以上に創始者の想いが込められているからです。例えば空手の総本山と言われるところは、創始者が亡くなっても〇〇流として、弟子の中から二代目、三代目と引き継がれて行っています。
それは形だけではなく、師の哲学、思想もそこには息づいており、表に見える形のみならず内側の思想も同時に受け継がれていくのです。創始者は自分がこの世からいなくなっても、自分の考えを弟子たちが引き継ぎ、またその下の世代の弟子たちが引き継いでくれる。
多分、時空を超えた引継ぎを込めて本拠地というものを創るのだと思います。よって、自分自身が学んで始めたものを、後の世の中である未来にも繋げるために、本拠地というものは必要ではないかと思います。よって、自分の思いを引き継いでくれる弟子を育てつつ、自分の教えを広めていっているのだと思います。
歴史ある会社も同じだと思います。元々の創業者は少人数で小さなところから始まっています。それが段々と発展して大きくなり、本社という本拠地を持つようになります。そして創業者の志を継いで、二代目社長、三代目社長と発展して行っているのだと思います。
社長室には企業理念が書かれた額縁があるのも、創業者の想いを伝える為だと思います。どこの道場でも創業者の想いが書かれて飾ってあります。
よって本拠地なるものは、創業者の歴史であり、創業者の哲学が想いを込めて書かれているのだと思います。
本拠地は創業者のみならず、1人1人の中にも本拠地というものがあると思います。その自分の本拠地に腰を据えて、自分は今何をすべきか。
これが自分の残された課題でもあると思います。
じゃ、また明日!