よく「謙虚であれ」と言われますが、謙虚は己を成長へと導くことがあります。お互いが得た気付きや学びをシェアしあう。それぞれが知らなかったことをそこで知って行く。それでお互いがより深く考え、理解を深めていく。
今は少なくなりましたが、プライドの高い人は自分より年下の人のいう事は端から聞こうとはしません。自分の方が良く知っていると思い込んでいるのです。しかし、新しいことは若い人の方が詳しいです。自分より年齢が下だろうが、役職が下だろうが、知らないものは知らないのであるから素直に聞けば良いだけのことです。そこで教えて貰えば、1つ知識が増えてことになり、自分もプラスになっているのです。
しかし、これは聞く側の姿勢にもよります。自分が聞く姿勢でなければ、どんなに正しいことを伝えてもその人にとっては意味がありません。自らの成長を求めている人のみ、プラスになる情報だと思います。
お互いに学び合うという事は、知識だけではなく生き方やその人の本質を突く場合もあります。しかし、人は自分の気付いていなかった本質を突かれると、大いに困惑し素直になれないようです。しかし大切なのは、この困惑が考えるチャンスなのです。
なぜならほとんどの人は、それは違うだろうと思っていても口には出してくれません。お腹の中で思っているだけで、表面は合わせてくれます。それを続けていると「裸の王様」状態が続いてしまうのです。
損得を考えない子どもが素直に「王様は裸だ」と言ってくれるのです。自分の成長を考えている人は子どもの声を一度素直に聞いて考えてみます。今のままで良いと思っている人は、子どもを蹴散らします。ここで差が出てくると思います。
共に教え合い共に学び合う人達は、相手の成長のために、嫌がられるだろうと思っても感じることは言います。このままではいずれ失敗するだろうと思うから、相手の進化・成長のために敢て言う時があります。言われた方は、やはり自分の為であったとしても、その時は傷つくかも知れません。しかし、その辛さ、痛さよりも成長する事の方が自分にとって良いのだと分かっている人は、言われた事を考えてみると思います。
共に教え合い共に学び合うという事は、痛みが伴う事でもあると思います。敢て耳の痛いことを聞き、考えて自分の成長につなげていくからです。素直な気持ちで真摯に相手の言っている事を聞き、自分が気付いていなかったことに目を向けることが、自分の成長にとって非常に大切な事だと思います。
「良薬は口に苦し」と昔から言われますが、耳の痛い事も厳しい忠告も一度考えてみて、より広い世界の中から、選択して行っても良いのではないかと思います。同じ所にいると周りの人も同じ人になります。時には、違う人の意見に耳を傾ける必要があると思います。
じゃ、また明日!