「不一不二」(ふいつふじ)とは、仲の良い自分と他人とは一体であるが、別々の存在である。1つではないが2つでもない。二者が合一する姿である。不一とは1つであって1つでない。不二とは2つであって2つではない。つまり、不一は不二なのである。この2つが合一していることを知ることで、真理の存在が意識出来る。という事ですが、私はこの言葉はまだ本当には理解できていないかも知れません。
別々の人間でも1つになって調和のとれることが大切。というのは理解できます。最近企業などでもパーパスが盛んに叫ばれ始めたの は、「目標を通じて結びつく」というのが浸透してきたからだと思います。社内の目標が分かってきたら、社員はそこを目指して頑張ります。反対に会社の目標がわからず、しかも存在意義や社会的意義が無い場合、いくら頑張ってもそこの社員は何を目指して仕事をすればよいか分かりにくいかも知れません。
友達関係でも人間関係でも、同じ目標があるからこそ結びつくのであって、目標が違ってくれば自ずから離れていくと思います。習い事でも同じ習い事で切磋琢磨している時は非常に仲良く結びついてサポートしあっていた二人が、違う習い事を始めると、新しい所での仲間と親しくなり、今までの仲間とは自然と疎遠になって行きます。
なぜなら、目指すものや目標が変わると、今まではお互いがサポートしあっていたことが難しくなり、以前ほど出来なくなってきたからです。それよりも今現在所属している人の方が、共通の目標なのでサポートしやすいからです。これは自然の流れだと思います。
人間関係の要となっているのは、お互いを支え合う事だと思います。目指すべきところが同じでないと、支え合う事は難しいと思います。そこで無理にでも支えあおうとすると、チグハグな支え方になってしまうので長続きしないのです。
人は自分が目指すことに意味や価値を見出すからそこにベクトルが向くのだと思います。そしてその方向に共に向かうから、目標を通じて結び付き、信頼関係が深くなるのだと思います。そして、それぞれが自分らしく生きていこうとするからこそ、愛される存在になるのだと思います。
自分と他人は別々の存在ではあるけれど、目標に向かって1つになる。1つではないが2つでもない。この1つ1つが合一していることを知ることで真の存在が意識出来るようです。
人は別々の人間であったとしても、1つになる為の信頼や情緒によって、調和を取って行くことが出来ると思います。それが「1つが2つで、2つが1つ」なのかなと思います。
じゃ、また明日!