昔の教育者の方は、生徒の心に種を蒔いていました。種はすくすく育つ場合と、残念ながらそうでもない場合があります。それでも素直に育ってほしいと、種を蒔き続けていました。
最初に種を蒔くのは親だと思います。毎日毎日芽が出るように一生懸命水やりをし、育ててきたと思います。しかし、そんな大切な水やりでも時には水を与えすぎたりして、腐らせてしまう事があるのです。或いは、腐る所まで行かなくても、思うような芽の出方をしてくれない種になってしまう時もあるのです。そしてそのまま親の意に反して大きくなってしまうのです。
親以外でも、折角目が出た苗を育てる所はあります。学校の先生であったり、人財教育の場であったり。これらはよく吟味して選ぶ必要はありますが、その苗を上手に育ててくれる可能性があります。
それは何故かというと、本気で1つ1つの苗に向き合うからです。その苗の必要としている水の量を考えながら、或いはその苗が必要としている栄養分を補給しながら、バランスを取りつつ大事に大事に苗が育つのを見守っているのです。台風が来れば雨風の当たらぬところに移動させ、晴れると太陽の光が当たる所に移動させる。1つ1つの苗の育ち方を見つつ、その苗に合ったやり方で育てていく。
本気で取り組むには時間が掛かります。1:1の真剣勝負になります。それでもその苗が自分で育って行けるよう、見守りながら、手間をかけて育てるのです。そしてこれ以上は無理かなと思っても、あと少し、あと少しと育てます。そういう時なのです。「奇蹟」が起こるのは。
手間暇かけて育てられた苗は、自ら育つ事に目覚めるのです。自分で水を吸う事や、自分の足らない栄養素を選んで自ら育つことを。そうなればもう手を掛ける必要はありません。その苗は自分で根を張って生きていくことを思い出すのです。人の手を借りることなく自分の根で自分を支え、自分にとって必要なものだけを取り入れて生きていく楽しさを、知って行くのです。
人間教育、人財教育も同じだと思います。自分は奇蹟を起こすことが出来るのだということを忘れてしまっている人に、自分は出来るのだと思い出してもらうのです。自分の持っている能力を自分で引っ張り出してもらうのです。本来の自分の可能性を表に出してもらうのです。
そういう経験をした人達は、人の痛みに共感出来たり、粘り強さを発揮して自分の描いた人生を歩むのだと思います。
人間教育、人財教育というのは、苗を植え続ける人達だと思います。折角生まれた苗を自分で根を張り、自分で生きていける人間に育て上げる。育て上げた人数が、これからの日本を支えていく人達の中に入って行くのだと思います。
じゃ、また明日!