「元氣は、与えることで与えられるご褒美です」と言われるように、誰かを元氣にすると、自分も元氣になれるようです。むしろ震災ボランティアの方などは、励ましに行ったつもりが、かえって被災地の方々から励まされたと、言われています。
それは極悪環境の中でも、けなげに前を向いて生きようとする姿に元氣を貰うのだと思います。悲しい事があっても、納得の出来ない事や悔しいことがあっても、いつまでもその感情に浸っているわけにはいきません。生きるということは前を向くしかないのです。
よって、ボランティアの方がお手伝いに行ったとしても、その前向きでひたすら生きようとする姿に、元氣を貰って帰ってくるのだと思います。私たちは前向きに一生懸命な姿に感動を覚え、勇気と力を貰っているような気がします。
そんなに深刻でなくても、元気が出る方法があります。私は脳の許容量が少ないせいか、考えるとすぐに眠たくなって寝てしまいます。そしてぐっすり寝て起きると、問題は解決していなくても、解決したような気分になっています。よって「寝ること」と「食べること」が元氣が無い時には必要かと思います。
「寝て」「食べる」だけでは問題は可決していないかも知れません。しかし、焦らずに放っておくのも、大切なことだと思います。元氣の無い時は「何もしないこと」も回復の早道です。何とかしなければと思えば思うほど空回りする可能性があるので、何もしないうちに問題が解決の方向に向いている場合もあります。よって、時には何もしないことが解決の糸口になるということも覚えておきたいです。
人は「元氣が出ないとき」はたいがい「疲れているとき」だと思います。疲れてくると、どうしても視野が狭くなりネガティブなことを考えてしまいます。よって、そうなる前に美味しいものを食べてぐっすり眠ると、視野が狭くなるのを防いでくれるような氣がします。だから余計に寝ることは大切だと思います。
何気ない話をするのも、回復の手伝いをしてくれると思います。話す氣にもなっていなかったけれど、話をしていくうちに段々と元氣が出て来て、回復の方向に行く。これも自分が励ましているつもりが、いつの間にか自分が励まされているという、逆転になってしまう時があります。
震災の時もそうですが、言葉を口から出すというのは、要らないものも吐き出す役目があるのか、話をした後はスッキリします。哀しい事、辛いことは言葉と一緒にどんどん吐き出せば気持ちが少しでも軽くなると思います。いずれにせよ、人を励ますつもりだったのが、いつの間にか自分が励まされているということが多々あります。これもコミュニケーションの結果でしょうか。
じゃ、また明日!