私たちは誰しも「希望」を持って生きていると思います。昨年の能登半島地震、30年前のhannsinn阪神淡路大震災と、日にちが近いせいかTVではここ数日特集がありました。特に能登では震災の絶望からやっと立ち直ろうとしていた時にまた水害です。地震で何とかぐちゃぐちゃになったけれど家があった人も水害で今度は全滅です。家も商売道具もすべて水に浸かって使い物になりません。よって、其々に職業を変えて立ち直ろうとしています。
年齢が若いと、未来に向かって歩くこともできます。しかし、年金で暮らしていた人は家も家財道具もお金もすべてなくなり、今は仮設住宅に入れたものの、2年後には出なければなりません。そういう状態で今更家も建てられないし、借金もすることができない状態で「希望など持てない」と言われていました。ただ2年後の自分はどうなっているのか、それしか考えられないと。震災はその時の自分の年齢が非常にのしかかってくると思います。
2年後の未来か、10年後の未来か。希望を持てる年数にもよりますが、現実は前を向いて歩くしかないようです。「希望」の中には「可能性」も含まれていると思います。絶望の中にも「未来の可能性」はあると思いますので、「これで終わりじゃない!」という気持ちが必要だと思います。
なぜなら「希望」は未来に向かって、人から人へと繋げていったり、託していくことが出来るからです。自分が居なくなっても、自分の生きざまは後世の人が見ていてくれれば、それもまた託して行けると思います。自分が居なくなっても、自分がやっていた事、自分が関わっていたことが次世代に受け継がれていく。それこそが「未来の可能性という希望」だと思います。
未来に向けられた望みは、未来に悔いを残さない事だと思います。感謝の気持ちを未来に残すこと。自分という存在を他者の未来に託せるというのは、それこそ「希望」としか言いようがないと思います。世代を超えて繋がって行く。だからこそ「これで終わりじゃない!」のです。
それは、自我の意識に執着することなく、この世に生まれたことへの感謝であり、他者への感謝です。自分の存在というのは、他者あっての自分です。自分1人では何もできないし、何の意味もありません。人と人との間にいるから人間なのです。他の動物と違う所は、希望を持つことが出来るということだと思います。よって、未来の可能性を信じて、前を向いて歩くのです。
医師には「希望を処方せよ」という言葉があるようです。しかし、「希望を処方出来る」のは医師に限らず、教育関係者や、コーチングなど、色々な職業の人にも通じると思います。或いは、職業でなくても信頼関係のある人にも通じると思います。人の可能性を信じ、未来の可能性を信じて、次の世代に「人の可能性を希望と共に」つなげていきたいものです。
じゃ、また明日!