私たちは人間関係に於いて「期待」したり「希望」を抱いたりします。しかし、それがポジティブに進んでいる時は良いのですが、一歩間違えれば失望したり「裏切られた」と思ってしまう事があります。特に身近な人間関係に於いてはこの違いをはっきりと認識しておかないと、あやふやに続けていると辛く苦しい結果になり得ます。
近しい関係の人になればなる程、無意識のうちに相手に期待してしまいます。「相手はこうしてくれるだろう」とか「こうなってくれるだろう」とか。しかし、それは自分が勝手に相手に対して期待してしまい、自分の思い込みでしかありません。
最初は相手の良い所を見ようとするので、自分の理想に重ねてしまいがちになるのです。しかし、その自分勝手な思い込みが相手に対して過剰な期待を抱いてしまい、相手を追い詰めてしまったりする時があります。そして、自分の期待していた通りにならなければ「裏切られた」と思ってしまうのです。そうなると折角の人間関係が壊れて行くのです。
よって、最初から相手に期待しすぎず、相手の良い所も悪い所も両方見るようにした方が長続きするかも知れません。3組に1組が離婚すると言われている現在、あんなに仲が良かったのにと思うご夫婦でも離婚されます。表向きはお互いが自立してお互いを尊重して理想的だと思われていても、相手に対する期待が高ければ高いほどそのギャップも大きかったのかも知れません。
しかし、それは最初の段階で事実よりも期待しすぎた目で相手を観ていたからかも知れません。期待というのはともすれば、相手を追い詰めてしまうネガティブな面を持っている可能性があります。
子育てに於いては、親の期待が大きすぎると、子どもは期待に応えられなければ委縮してしまい、自分はダメな子だと罪悪感を持ち続けることになります。そして大人になっても自分に自信が持てなかったり、いつも親や他人の目を気にして相手の意向を考えて自分の本音を言えない、という状態が続く可能性もあると思います。
自分が勝手に想い描いた理想を相手重ね合わせて、相手がそのように実現してくれることを待っている「期待」に対し、「希望」は相手の立場に立ってその未来を共に望み、共に歩む状態だと思います。よって、「希望」は相手を追い詰めたり、相手に裏切られたと思う事は起こり得ないのです。
なぜなら、自分が人生の目的の為に未来に向かって歩むのですから、相手に依存するのではなく、相手と共存の状態だからです。未来に向かって望みを掛けるからです。よって、一歩一歩自分の足で歩くしかないのです。その結果、自分の人生の目的に近づき、実現できるのだと思います。
「期待」をせずして「希望」を持って生きたいものです。
じゃ、また明日!