「人生の目的が変われば人生の質が変わる」と言われます。最近よく耳にするようになったパーパス。これも人生の目的です。生きて行く上での目的は「大切なものを大切にする生き方をする」ことであり、自分にとっては何が大切なのかを考える必要があると思います。
私は自己啓発系の本は、少しは読んでいましたが、それが自分自身とは結びついていませんでした。しかし、ここ数年、自己啓発という意味が少しづつ理解出来、「依存していた自分」「甘えがあった自分」「他責にばかりしていた自分」に気付き始めました。現在ではそれらを手放し「自立」「自制」「自責」に向かう必要性を感じています。
それらを意識し始めると、何事においても感謝の念が出てきました。上から目線が無くなり、「してやっている」から「して頂いてる」に変わり始めます。そして、以前は直ぐに根拠のない反発をしていましたが、素直に相手のいうことに耳を傾けるようになりました。
そして、何事にも責任を果たすという自覚が出てきました。自分が判断して決めたことには、結果がどうであれ自分が責任を取る。この意識が芽生え始め、何か大きな判断をする時でも最後は自分で責任を持つという感覚が出てきました。その代わり、失敗しても「悔いの無い失敗である」と覚悟が決まります。
人との関わり方に於いても、今までは自分の目の前の現実がすべてで動かさないと思っていましたが、誰といるか、どんな環境で自分は生きるかなどを考えるようになると、先ずは身近な人に対しての責任を果たすことから始まり、自分の人生にとってより良い人間関係や環境は何かを選択するようになりました。
そして、夢は追うものでは無く、現実の延長線上にしか理想は無く、毎日の積み重ねが夢を現実のものにしていくものだと思うようになりました。そんな毎日の中で人との関係が生まれてきます。有難いことに、私はいつも良い人に恵まれ、どんな場面に於いても私がやりやすい方向で物事が進んでいきました。よって、自分が受けた恩はその人に返すのではなく、次の世代に恩送りをしたいと思っています。
考えてみれば私たちはご先祖さまからの恩を受け継いでいるように思います。両親から私に、その両親は祖父母から、その祖父母は曾祖父母から、恩を送っているように思います。よって、今ある私は、昔からの恩送りを受け継いでいるのかも知れません。それを意識すれば、生きている現在の時間を大切にしなければ勿体ないように思います。
最大の放漫は「命の無駄遣い」だと言われます。個々人が生まれた瞬間から持っている自分の持ち時間をどのように使うのか。ダラダラと時間を過ごせば、それは命の無駄遣いに繋がります。時間の無駄な使い方は、やりたくないことをズルズルとやっていることです。そこには自分の意志も覚悟もありません。自分を生きるということは、自分の意志でもって覚悟を決めて生きることだと思います。
自分が納得もしていないのに、人の言いなりになったり、人の顔色を見ながら仕事をしたり。自分というものを我慢しながら生きているのは、一度切りの人生には勿体ないと思います。自分を生きるということは、人の理想や人から認められる生き方ではなく、自分の理想や自分が認める生き方だと思います。よって、自分の理想を具現化すれば良いのだと思います。
自分の目的は何なのか。自分はどういう生き方をしたいのか。人生の目的が変われば人生の質も変わるようです。
じゃ、また明日!