私たちは、自分の心と頭を一致させたいと思っています。しかしそれがなかなか出来ないのです。頭では分かっているけど、なかなか腑に落ちない。というのも一致出来ていない時です。自分の心と宇宙の心=自分が生まれて来た意味 を完全に一致させるために、あれこれ悩んでしまう事になります。
一致させるためには、1つ1つの自分の本心と向き合う必要があるのだと思います。自分の生まれて来た意味は、自分自身ではなかなか一致させることが出来ません。よって、他人の言う事に耳を傾ける方が分かりやすいようなことになります。
私たちは自分の可能性を自分の中から引っ張り出す必要があると思います。今日、たまたま目にした文章では「自分の可能性とは宇宙の可能性そのものであるという事であり、僕が一番やりたいことは、僕とあなたの中の宇宙を復活させること」とありました。
しあわせの先は目に見えない世界、本質の世界であり、その本質とは「宇宙愛」のことかなと、自分の中で結びついてしまいました。昨日サン・テグジュペリの「愛すること。それはお互いを見つめ合う事ではなく、一緒に同じ方向をみつめることである」というのを目にしました。
この同じ方向の先にあるのが「魂レベルの愛」というものなのかなと思いました。自分の心と自分が生まれて来た意味(魂の心)を一致させると言う事は、この「宇宙の中でのしあわせ」の方向をみつめることのような気がしてきました。
宇宙というのは目に見えません。しかし、想像では無限の愛のイメージがあり、人間は自由なのだという感覚に囚われてしまいます。宇宙という言葉には、見えざる本質があるような気がします。そして愛情と信頼は表裏一体で、ニコイチのようなものです。このニコイチの状態になった時にエネルギーが生まれるのだと思います。
我々は独りのようで独りではありません。古代から脈々と先祖の魂が受け継がれてきているのだと思います。時代を経て受け継がれる中で魂は磨かれ、人々が生きやすいように変化させていくのだと思います。
われわれが生まれてきたのは、ただ空気を吸って栄養を取ってという日常生活をするためだけに生れて来たのではないと思います。それぞれにはそれぞれの使命があり、その人にしか出来ない事を課せられてきたのだと思います。ただ、自分が何を課せられているのか。何がやりたいのかは、なかなか見つけだすことが出来ないのです。
しかし、それに気付いた時、役割をまっとうすべき自分の与えられた役割を一生懸命やるだけだと思います。だから人は繋がっていると言われているのだと思います。ただの日常生活を送るだけで人生が終わってしまうのと、自分の役割をまっとうして終わるのとでは、自分の人生が違って来ると思います。どういう生き方をしたいのかは人其々ですが、やはり魂レベルで生きて、次の世代につなげていきたいなと思います。
じゃ、また明日!