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ある会社の社長さんが「自分の中に真心があったら、その真心を支えにするしかない」と言われていました。その真心って何かなと思ったとき、その社長さんと違うかも知れませんが、いつも愛情深く、真心で励まし合って生きていくことなのかなと思いました。

自らの真心を支えにすると言うことは、自からの愛情を支えに、人に対しても自分に対しても誠心誠意尽くすことだと思います。若者の自殺があとを絶ちません。「死にたい」の裏には「寂しい」とか「悲しい」「つらい」とかそのような感情がSOSを出しています。それを周りが気付いて共感すれば、自殺を思い留まる可能性が十分にあります。その機会なくして、誰にも打ち明けることが出来ず、一人で思い悩んでしまうのです。

ヴィクトール・フランクルの心理療法はロゴセラピーという名前の「意味療法」だと、今日知りました。「それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。その意味を見出すことが出来た人間はどんな苦しみにも耐えることが出来る」と。これは自身がアウシュヴィッツの強制収容所の中での経験から、より深まったのだと思います。

強制収容所の中に居る人でも、「自分の人生には待っているものがある」と思えた人は生き延びているのです。それは「人生にまだ何を期待できるのか」と問うのではなく、「人生は私に何を期待しているのか」を問うのです。と言っています。それはどんな時にも人生には意味があり、自分を必要とする何かがある。自分を必要とする誰かがいる。その何かや誰かのために、自分しかできないことがある。だからどんなに苦しくて人生に絶望していたとしても、人生があなたに絶望するということは決してないのだ、と。

この心理療法でフランクルに相談に来た囚人たちは、フランクルに励まされ、強制収容所を生き延びたようです。フランクルは述べています。「私はロゴセラピーを提唱しているが、最終的に人を動かすのは真実の愛、真心しかない。医者の人間性が患者の人間性を呼び覚ますのだ」と。これは医者のみならず、教師の人間性がいじめにあった子ども、あるいはいじめをしている子どもの人間性を呼び覚ますのだと思います。

最近散歩をしていて、紅葉がきれいだった木々の「最期の一葉」も落ちてしまいました。その時、オーヘンリーの「最後の一葉」を思い出したのですが、この短編小説も真心で命を救っています。

若い画家志望の女性が肺炎に冒され、生きる希望を失っていました。ベットに横たわって小さな窓から外を見るだけの毎日で、自分はもう治らないと自分で決め込んでいました。1階に住む老人画家が彼女のあきらめを彼女の友達から聞きました。嵐が吹きすさぶ嵐の夜、奇跡の様に一枚の葉っぱがだけ残っていました。その葉っぱを見て彼女は何かがあの最期の一葉を残してくれたのだわ、死にたいと思うなんて罰当たりねと、今まで口にしなかったスープも飲み始めました。

彼女は生きる気力を取り戻し、危機を脱しました。しかし、1階の老人画家は肺炎のために亡くなりました。その老人画家は嵐の中、びしょびしょになりながら、彼女を励まし助けるために最後の一葉を書いていたのです。これは老人画家の愛情深い真心の表れだと思います。

人は真心によって人を動かしたり、生きる希望を与えたりすることが出来るのです。いつも愛情深く真心で生きていきたいと思います。

じゃ、また明日!

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