社会に出ると7人の敵がいると言われていました。しかし、今は全く聞かなくなりました。それは多くの人の中で「敵は自分自身であり、自分の中に居る」というのが分かってきたからだと思います。
敵が外にいると思った場合、絶えずその外の敵と戦うことになります。しかし、その敵だと思って居た人の奥には自分自身がいるのです。自分の中でクリアできていない部分が他人を通して敵だと思わせ、自分と向き合うのを避けているのです。
敵だと思って居た人が自分だったら・・・。誰しも自分とは戦いたくないものです。ということは、外の敵だと思って居る人に、自分の目的をきっちり伝える事によって、歩み寄りができるのではないかと思います。そして自分のことをわかってもらうのと同時に、自分も相手のことをわかる必要があると思います。
相手が自分のことを少しでもわかってくれたら、対応も変わってくると思います。反対に相手のそのような変化に対して、分かってくれたという感謝の気持ちを持つことも大切なことだと思います。
自分の目的にまっしぐらな時は、周りのことは全く見えていません。目に入る隙もありません。自分のことで精いっぱいで他人のことを考える余裕などないのです。目的に向かって走っている時は、敵がいても目に入っていないので気にも留めません。こういう時は障害物があっても気にせず進めるのです。まさしく、周りに敵なしの状態です。
その状態は小さな子どもがおもちゃに夢中になって、呼びかけても聞こえていない状態と同じだと思います。興味のあることに熱中して、本人はそれで満足の状態なのだと思います。大人になってからはこういう状態はなくなると思いますが、目的に向かって熱中している時は、この状態と同じだと思います。
もう1つ今気が付いたのですが、瞑想中も似たような感じです。自分の中に入り込むと、周りのことは何も聞こえないし見えもしません。まさしく「無」の状態です。人が目的に向かっているときもそれと同じなのかもしれません。周りや相手が敵だと思わないのでストレスを感じないのです。
自分がストレスを感じないから、相手を敵だとも思わないし、相手に変化があれば「ありがとう」と感謝すら出てきます。よって最初は外の敵だと思って居た人が、自分の目的に無我夢中になれば、内なる敵と一緒になって目的に向かうので、結局は、敵がいるようでいない無的状態になるのではないかと思います。
自分の目的は敵ではなくやろうとしている目的が目的なので、敵も逃げていってしまうのかも知れません。無我夢中になるということは無心になるということで、瞑想をしていると、こんなところも同じ感覚になるのだなと、思った次第です。
やはり敵は自分しかいないようです。
じゃ、また明日!