街を歩けばブランド品を身に付けた人もいれば、私のようにブランドとは一切関係のない人もいます。人々がなぜブランド品を好むかと言えば、ブランド品はお値段が高い分、そこには信頼があります。「このバッグは丈夫で長持ちして、しかも品がある。どこかの王妃もこのバッグを使っていた」と。
例えば高級カフェのチェーン店は何処に行っても同じサービスで同じ味です。だから遠くに行ってもそのチェーン店に入れば、いつもと同じカフェが飲めるのでついついそこに足が向いてしまいます。やはり人は安心・安全な方を選んでしまうようです。
洋服にしても、そこのブランドで統一すれば、それなりの価値が得られます。街を歩いていても、ブランドに興味のある人からは羨望の眼差しで見て貰えます。よって、優越感に浸ることもできます。
反面、ブランドに関係が無いと、自分の要するものに対しては妥協はしませんが、おおらかな目で見てしまいます。今ではカフェと言っていますが、昔は喫茶店と言っていました。その喫茶店の常連さんはコーヒーが美味しいのは勿論ですが、そこのマスターとお喋りするのも1つの目的でした。そして、コーヒーは豆から挽いてじっくりと淹れてくれるので、大型チェーン店とは、また違った美味しさがあります。
ブランド店のようにマシーンでいつ行っても同じ美味しさのコーヒーを提供するのか、マスターの感で美味しく淹れるコーヒーをお喋りしながら出すのか。好みは人それぞれだと思います。
前者は機能や品質面が優位となる機会的な恩恵があるし、後者はサービスの体験価値となる情緒的恩恵にあずかることになります。たとえばスーパーなどはブランドに限らないですが、夜中でも買い物が出来たりします。反対に小売店では夜中に買い物は出来ませんが、店主に色々聞きながら、或いは教えて貰いながら買い物をすることが出来ます。
数年前から「モノ消費」から「コト消費」に変わりつつあると言われていました。今では製品を買って所有する「モノ消費」から、サービスを利用する「コト消費」の価値観が広まってきています。この「コト消費」の価値観に於いては顧客が何を求めているか、何に便利さを感じるのかを把握する必要があると思います。
それと同時に消費者側の我々は、ブランドを好むのか店主との関係性を好むのか、モノ消費の価値観かコト消費の価値観なのか。強いてはそれがその人の人生観であり生きざまになって来ると思います。
我々は絶えず選択の中で生きていると思います。どちらを選択するのか、何を選択するのか。それらの選択も、自分自身の生きざまだと思います。
じゃ、また明日!