私たちは小さい頃からお金があれば「しあわせ」だと聞いて育ってきました。確かに親の年代は戦争が終わり、日本が食べるのも精一杯のどん底から立ち直る時代でしたので、お金を稼ぐのに必死でした。しかし、自分達がそうだったから子ども達にはそういう思いをさせたくないと、子どもの世代は何でも欲しいものを与えられて育ってきました。よって、お金があればしあわせだと思って、大きくなってきました。
本当に貯金や財産があれば、しあわせなのでしょうか。物質的に恵まれていれば、物質的にはしあわせかも知れません。しかし、人間は感情の動物です。お金があっても感情的にはしあわせではない場合もあります。大きな家で独りで食事をする場合もあります。家族がいてもバラバラな生活をしている場合もあります。反対に小さな家で家族そろってワイワイ言いながら食事をしている場合もあります。
自分にとってのしあわせとは何なのか。これは十人十色だと思います。お金は手段としては非常に大切です。何かを得るための要素の1つとしては大切です。だからと言って自分の人生の目標が無い場合、銀行に沢山お金を貯蓄していても、自分の人生の目標が無ければ、宝の持ち腐れではないけれど、お金の持ち腐れになってしまい、感情的なしあわせは満足できません。
結局は、自分の人生の目標のためにお金を使う時が、しあわせを感じる事が出来るのだと思います。たとえ銀行の資産が減ったとしても、たとえ老後の生活に不安が残るとしても、自分が使いたい時に使えることが自分のしあわせに繋がって行くのだと思います。「老後の不安」とよく言われますが、日常生活が送れる位の収入があれば、それほど不安にはならないのではないかと思います。ただ、人それぞれ描く日常の生活レベルが違うので、一概には言えませんが・・・。
お金の不安があるというのは、お金を何に使うのかが明確になっていない場合だと思います。「お金持ちになりたい」とは言いますが、ではお金持ちになって何がしたいのかを問えば、答えられないのです。漠然とした不安があるから、とりあえずお金を貯金しておけば、不安が解消されると思ってしまっているのです。
人生の目的なしに「お金があればしあわせになれる」というのは、情報に流されているのではいかと思ってしまいます。欲しい「何か」、目指すべき「何か」が無いので、とりあえずお金さえあれば何とかなるだろう、と思って高い目に貯蓄設定をしておくのです。しかし、実際は逆のようです。人生の目的を持った人は、周りから何を言われても、人は人、自分は自分。と割り切って、自分の目的、目標に一歩一歩近づいて行くしあわせを感じているのだと思います。
人生は挑戦と失敗の繰り返しです。失敗があるからこそ、同じことを繰り返さなくてもよいのです。そして二度と失敗することなど無いと思います。失敗を重ねるから、本物の力がついて行くのだと思います。
金銭的しあわせよりも、心がしあわせになった方が周りの人もしあわせになります。しあわせで心豊かな人生を送ることが、私の目的の1つでもあると思います。
じゃ、また明日!