世間では「あの人は聞く耳を持たない」というのをよく聞きます。会社であったり、何かのグループであったり、とにかく人が集まると、中には聞く耳を持たない人がいます。しかし、まっとうな意見なら、聞く耳を持つことによって自己成長に繋がる時もあると思います。
「聞く耳を持つ」というのは、少なくとも相手の話を聴こうとする姿勢です。自分と違う考えであったとしても、相手の話を深く理解し、共感するところは共感する力だと思います。人は「耳が痛いこと」を言われるのは、あまりいい気持ちにはなりません。なぜなら、時には感情を揺さぶられたり、自己否定のように感じられることがあるからです。
しかし、そこで拒否をしてしまうのではなく、異なる意見も聞いてみると、自分自身では気付きにくい所も気付いて行くきっかけにもなり、自己改善に繋がる場合もあります。よって「耳の痛いこと」は自己成長の糧になることもあるのです。
「聞く耳を持つ人」と話をすると、信頼関係を築くことが出来ます。そして、絆を深めることが出来、コミュニケーションの質が上がります。自分自身も違いの本質部分がわかり、意識を改めることもできます。自分が相手の意見をどう受け止めるかによって、自分の価値観も認識できます。
「聞く耳を持たない人」とは話が深まらないので、距離を置いても良いと思いますが、「聞く耳を持つ人」とは、追いかけてでも話をする価値はあると思います。なぜなら「聞く耳を持つ人」は、いくら意見が違ったとしても、相手との関係を直ぐには切らないからです。お互いが相手の考えを理解しようとする共通認識があるから、違った意見でも素直に言うことが出来るし、そのたびごとに信頼が深まるので、色々な事を遠慮なく聴いたり、意見をぶつけたりすることが出来るのです。
こういう関係は誰とでも築くことは出来ないので、「聞く耳を持つ人」は大切にしたいと思います。私自身、振り返ってみれば、「耳の痛いこと」を言われた時は、やはりその後は修正されたように思います。そしてそのことは、その後の自分の生きる姿勢にも良い影響を与えてくれていました。人生の中でそういう人と出逢えることが、自分にとっては成長に繋がる出逢いだと思います。
そのためには、自分の価値観や目標を普段からしっかり持っておくことが大切であるし、根拠のない批判などには振り回されず、何を信じ、何を優先するかを明確にしておくことが必要だと思います。そして聞く耳を持ちつつ、時には自分の意見をはっきりと表明することも大切だと思います。なぜなら、そこが曖昧だと「あなたも同じ考えでしょ」と、同調を求められたりするので、そこははっきりとお互いのために伝えておく必要があると思います。
何事も穏便に済ますのではなく、違いは違いとして認め、共感できるところは共感していく。それが一番自然な人間関係だと思います。
じゃ、また明日!