企業に限らずリーダーシップが求められる時代ですが、そのリーダーシップも色々あるようです。カリスマリーダーシップでは、社員やリーダー以外の人はカリスマリーダーに依存してしまいます。最近問題になったカリスマリーダーの会社は、社員に有無を言わさず絶大なる権力で命令です。そういう会社はリーダーが失脚したら即潰れてしまいます。
カリスマリーダーの権力性により、折角社員や組織から良い意見が出て来ても、それを発表する機会もなく、何でもトップが決めてしまいます。その環境では社員の自立は伸ばされることがありません。むしろ、逆らわない人が上に上がります。よって、自立的な人にとっては成長のできない会社なので、離れて行くことも多いと思います。
片やチーム経営をしている所があります。これは個々のメンバーがリーダーシップを発揮して、互いに補完し合いながら意思決定を行う体制を取っている所です。よって、リーダーに依存することなく継続的な運営をすることが出来ます。
ここで大切になって来るのは、個々のメンバーが個人の特性や個性を大切にしながらも、チームの一員としての「部分になれるかどうか」です。個々人はチームの一員としてのリーダーシップを発揮できるかどうかです。「独自性」を強く発揮すれば、チームの調和が乱れます。「部分になれない人」は自己中心的に陥りやすく、他人の意見や視点を受け入れる余地が無くなってしまいます。よって、自分のやり方や価値観を優先してしまい、組織内の人間関係が悪化するのです。
チームというのは「部分の集合体」で、例えるなら1枚のジグソーパズルのようなものだと思います。個々人が1つ1つのピースであり、それが上手く当てはまってかみ合って完成していくのだと思います。よって、自分は全体の中での自立した部分であると云う事です。自分という存在は周囲との関係性によって、成り立っていると思います。自分だけが特化しすぎると、全体の絵として見た時に違和感を覚え、絵としての価値をむしろ下げてしまいます。
個々人がこれを理解した時、自分という存在は「部分だから自分がある」のであって「独自性は部分から生まれる」と云う事になります。よって、各人が部分としての自分を自覚した時、それらの1つ1つのピースが集まって1枚の大きなピースになった時、人々に感動を与え、大きな1ピースとしての価値が出てくるのだと思います。
優秀なリーダーの周りを優秀なチームスタッフが取り囲み、各課題をチームが解決していく。そういうやり方がこれからのチーム作りだと思います。これが「全員経営」であり、一人1人が仕事の面白さ、働く面白さを感じながら、毎日を過ごせるのだと思います。最近の40代の社長さんはこの考えで仕事をされている方が増えているのではないかと思います。
じゃ、また明日!