風の時代に入ったと言われてから久しいですが、なんだか少しづつ世の中も変わり始めているような気がします。日本の選挙、アメリカの選挙、今後どのような方向になって行くのか、人口分の1が自分であると云う事も、忘れてはならないと思います。と同時に、その1票が世の中を創って行くのだと思うと、真剣に考える必要があると思います。
世の中的には安定に根差した考え方に重きを置かれていたり、所有することに重きを置かれていたように思いますが、最近は反対に変化することが当たり前になりつつあるような気がします。そして、1つ1つに柔軟な対応が求められていくのではないかと思います。
縦横限らず、シェアする事で皆との繋がりを感じながら、全体としてのエネルギを加速させていく。個人も組織も固定化された枠組みに束縛されず、どんどん解き放たれることによって、さまざまな新たな繋がりの中で、新たな価値が生み出されて行くのではないかと思います。
個人的にも私自身、変化が起こりつつあるような気がします。今までなら安心・安全を選び、新たな事には挑戦しようとはしなかったはずなのに、この1年を振り返ってみれば、年始めの自分と今の自分を比べて見れば、やはり変わって行っているような気がします。
周りの目を気にして他人の人生を生きるのではなく、自分の生き方=死に方を考えた時、後悔しない生き方はどれなのか。自分がしあわせになることによって、他人もしあわせに出来るのではないか。そう思うと、手放すことが苦手だった私なのに、どんどん手放して行っているような気がします。
自分自身を信じきることが出来なかったから、今までの自分から卒業することが出来なかったのではないか。1秒前の自分はすでに過去なのだから、今現在の自分に目を向ける必要があるのではないか。また、何となくゴールと思っていたけれど、ゴールが変わる事もあり得ることで、今現在のゴールは何処なのか。残る人生で自分が重きを置きたいのは何なのか。
こういうことが頭をよぎるようになり、なんだか身辺整理がしたくなってきました。子どももいないのでお金も残す必要はありません。人間関係も新たな人間関係の所に行けば、以前の関係も薄れてくるし、自分はどういう人たちと一緒にいるのが自分らしく生きれるのか。自分がやっていて遣り甲斐を感じることは何なのか。そういうことを考えていると、何一つ固執するものなど無かったのです。
これはヴェーダ瞑想の効果かも知れませんが、どんどん手放して軽くなっていく気がします。風の時代は変化することを当たり前とし、身を軽くしながら柔軟な対応力を持つことが大切になってくる。と言われていますが、やはりその方向に動いているのかなと思います。いずれにせよ、時代の変化を追い風に、あらたな人生を今日からまた歩んで行こうと思います。
じゃ、また明日!