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物事を感受するには十人十色と言われるように、本人の深さや浅さがあります。
自分というものを確立する為には本質的に学びを深めていく必要があります。
かく言う私に、耳の痛い(目の痛い?)文章がありました。
何もわかっていないのに身勝手にわかったとするのは、人生を本気で生きていない証拠でもあるし、真の体験から逃げている証拠でもある。
その物事の体験もしていないのに、自分勝手に成否善悪を決めつけて、自らの力で真実を掴もうとしないで大事な事は全て他人任せ。
また、他人が体験した事を安易に理解してさも自分で体験した気になり、それを偉そうに他人に自分が体験したように論評する。
そして浅く広いが故に、深く取り組もうとすると怖くなり、中身のない空虚な理想と現実ばかりの中で何もしないままに流されて行く。
つまり、浅いという事は自らの体験を通して学ぼうとせず、学問と言うものを単なる知識だけのものだと勘違いするから浅くなる。
深いという事は、そのものの体験が深いと言う事。
どんな出来事も自分でやってみて、多くの失敗や成功体験を得て、反省して身に付けていく。
そういう人は、安易に脳が身勝手な誤解をせず、心技体(心・意志・身体)一体となって体験をするから、本質的に仕組みを体得していくようです。
本物の学問とは、行動と知識がセットになっておりそこから体験する事で本質を学び、自らに問う事で自らに浸透するものである。
私も行動と知識はセットにしなければ人を納得させることは出来ないと思います。
よって、今自分に一番欠けているのが行動だという事です。
自分を確立する為にも、体験と言うものを優先する必要があると思います。
ビジネスの世界では「問題を見つける」とか言われますが、自分が深くあるから問題意識も生まれるのであって、深くなければ問題意識も生まれては来ません。
この筆者は、体験というのは、総合芸術のように仕上がってこそ、本物の体験となるのだと思う。
と記されていますが、1つの物事を色々な角度から仕上げるから立体的になり、総合芸術になるのだと思います。
先ずは、体験です。
「問題意識をもって新しいお店に行く」というのも、体験の1つとしましょう。
じゃ、また!