日本人は自己犠牲の人が多いと聞きますが、昔からそれが「美徳」のように
聞かされていた気がします。
確かに、自己主張ばかりで「自分が、自分が」という人よりは、
協調性があり、波風は経たないと思います。
しかしそれでは一生、人の言いなりです。
自分の意見を考えることが出来なくなってしまいます。
それに慣れてしまえば、自分の意見を考えることが出来なくなり、
自分の意見を言うことが出来なくなってしまいます。
全体の中の部分として考えた時、其々が総人口分の1としての役割がある
と
思います。
世界の中の日本であり、日本の中の自分の住んでいる地域であり、
それぞれの地域があるから日本という国が成り立っているのだと思います。
これをカラダに例えると、足があるから歩けるし、移動もできます。
手があるから、仕事をしたり日常生活を送ることが出来るのです。
その司令塔となるのが脳であり心であると思います。
脳と心が一直線で繋がった時、人は自分が納得のいく行動が出来るのだと思います。
その要となるのが、よく言われる丹田だと思います。
私もストレッチをして体幹を保つようにしているのですが、
それぞれのパーツを緩めて丹田から動きを発すると、楽に動きます。
丹田から手を動かす、丹田から歩くと、軽く動くような気がします。
これは手足がバラバラにくっ付いているのではなく、
カラダの中心と繋がって、くっ付いて動くから楽に動かせるのだと思います。
よって、手足は自己犠牲で動いているのではなく、脳や心と共感して動くので、
スムーズに動くのだと思います。
自分という人間の、全体のカラダの中の一部として役割を担っている。
だからこそ、思った通りに軽くスムーズに動かせるのだと思います。
部分であるが故に、全体に貢献できるのだと思います。
自分のカラダというチームの中で、他のパーツと協力し合いながら、
自分の思うように動かしていく。
その発想が出来れば、宇宙の中の地球として、考えることが出来るし、
地球人としての自覚があれば、隣国に攻め入ったりすることが、
如何に全体に負荷をかけ、地球の寿命を縮めているかを認識することが
出来るのではないかと思います。
会社の中での自分、地域の中での自分、それぞれの中での自分は、
何をすべきか。
自分の得意な事は何なのか。
それで全体に貢献することが出来れば一番だと思います。
もうすぐ選挙です。
立候補者の方は熱を込めて立派な事を言われています。
それだけ熱を込めて言えるものを持っているのなら、どうして普段から
そのエネルギーを発揮して、国民のためにお仕事をしてくれないのかと
思います。
日本という全体の中で、それぞれの方は古来の日本人の良き精神を受け継ぎ、
それをより良いものとして、子や孫の世代が生きやすいように整える。
そういう政治をしてくれる人を選ぶのも、
国民一人1人の責任だと思います。
じゃ、また明日!