「JOY」というのは「喜び」とか「うれしさ」とか言われます。
しかし、人生における喜びなどは、人それぞれで十人十色だと思います。
自分の喜びは何なのかと考えていたら、人それぞれに
「生きる」喜びであったり、「働く」喜びであったり、「知る」喜びであったり、
色々あるだろうなと思いました。
自分の中でおぼろげながら「喜び」というものを感じてはいたけれど、
それはもっと深く考えることによって、人生にも深みが出てくるように思います。
夢や希望や感謝、そして愛などの前向きな感情を感じられるというのも
喜びの要素だと思います。
夢や希望を持たずに毎日を過ごしていれば、日常生活としては生きていますが、
ワクワク感を感じることはあまりないと思います。
夢や希望を現実化するところに喜びがあり、没頭できる楽しさがあるのです。
没頭できるものがあると云う事は、それ以外のものに気を取られることなど
ありません。
プラス要素に目を向けることはあっても、マイナス要素に目を向けたり
構っている暇など無くなると思います。
そして、それを実行する過程に於いて、色々な人間関係にぶつかると思います。
しかしゴールが共有されていれば、そこでの人間関係も楽しいものになります。
なぜなら、例え意見が違っても、目指すゴールは共有されているので、
その違いをすり合わすことによって、より良いものができるからです。
そこで本音のぶつかり合い、意見のすり合わせが出来ない人間関係であれば、
最初から一緒にやれない人間関係だと思います。
このあたりになると、個人の意見ではなく、意味ある活動、意義ある行動に
なって来るので、大げさに言えば社会を動かす位の考えが必要になって来ると
思います。
人生や働くことに意味や意義、目的を持つという事は、
自分の人生を深める要素になると思います。
只単に与えられた時間を過ごす24時間ではなく、
自分のやっていることが社会の歯車の一員になっている実感を伴って過ごす
24時間になると思います。
そして、その目標、目的が達成された時、
人々は至福を味わうことが出来るのだと思います。
結局、自分にとっての「JOY」とは、目的を持って生きることであるし、
その時、その目的は誰と共有するかが大切になってきます。
心から支え合う事の出来る信頼関係が出来ていれば、
どんな問題が降りかかって来ても乗り越えられると思います。
反対にそこまでの信頼関係が出来ていなければ、
その人間関係は解消の方向に行くと思います。
その目的は、自分の為ではなく人々のためになるような目的であればあるほど、
自分に喜びとして跳ね返ってきます。
この喜びが、生きる喜びであり、生き甲斐になるのだと思います。
自分にとっての「JOY」。
可能性は自分の持ち時間の最後の最後まで、
無限大にあるものだと思います。
じゃ、また明日!