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「人生すべからく 夢なくしては叶いません」
これは神戸市長の故・原口忠次郎さんの言葉です。
NHKのプロジェクトXでも放送されましたが、
「明石海峡大橋」は神戸市と淡路島を結ぶ全長4kmの巨大なつり橋です。
「夢の架け橋」と言われ、誰もできるとは思っていなかった橋が、
現在神戸市と淡路島を結び、四国へと通じるようになったのです。
昭和50年に「今こそ、神戸と四国を橋で結び、陸続きにすべきだ」と
故・原口忠次郎神戸市長が訴えたのが始まりでした。
淡路島で獲れた魚を船で神戸に運ぶしか手段が無かったし、
海が荒れている時は船も出ない状態。
それを土木技術者から神戸市長に転じた原口忠次郎さんだからこそ、
何とかしたかったのではないかと思います。
私が幼稚園の時、クジラを取りに行く船の出港式に年長組が見送りに行ったのです。
その時の原口市長は「大きなクジラを捕って帰ってきます」と言われてたのを
覚えてします。
そして最後に「君たちがもっともっと大きくなって大人になった頃には、
神戸と淡路を結ぶ大きな橋ができるから」と言われたのを子どもながら覚えています。
実際に動き始めたのはもっともっと先でしたが、多分、原口忠次郎さんが
果たしたかった夢であったのだと思います。
しかし、白昼夢と笑われた「夢の架け橋」が技術の発達やその後の各企業の
技術者の方々によって、重さ9万トンの橋げたを作る巨大ケーブル建設や、
ヘリコプターによる空中架設など、不可能と言われた橋の建設に尽力したのは、
技術を磨き続けた製鉄会社の師弟や現場監督の方々でした。
途中、阪神淡路大震災がありましたが、少しのズレはあったものの、大丈夫でした。
その遅れの1か月も取り戻し、予定通り「夢の架け橋」は現実の「明石海峡大橋」と
なったのです。
私も工事着工から新聞やニュースで知っていたので、地震の時はダメかと思いましたが、
大丈夫と聞いてホッとしたものです。
誰しもが無謀な挑戦だと一蹴したにも関わらず、原口忠次郎さんは
「橋ができれば、神戸・淡路・四国が繋がって、人々の生活が楽になる!」と
夢を追い続けたのです。
私も神戸の学校で働いていたので、淡路の学生が雨の強い日や海が荒れている時は
学校に来れない状況だったので、下宿をせざるを得ませんでした。
およそ10年の歳月を掛けて1998年4月5日に完成してからは、淡路の学生も
下宿をせずにバスで通うようになりました。
「明石海峡大橋」は、学生にとっても、働いている人々にとっても、
魚を売る漁師さんにとっても、仕事で四国へ渡る人々にとっても、
無くてはならないものになりました。
そして全31種類のライトアップパターンで、夜に車を走らせている人々や、
夜景スポットとして、人々を楽しませてくれています。
人々から反対されても、夢を捨てなかった結果が、後々の人々にしあわせを
与えてくれているのです。
橋のたもとの舞子公園には、三種の異なった岩肌にメビウスの輪
「夢レンズ」の顕彰碑があります。
その三種は「人、自然、科学」を、そして明石海峡大橋が結んだ、
「本州、淡路、四国」を表しているようです。
モニュメント「夢レンズ」には原口忠次郎さんの言葉が刻まれています。
「人生すべからく 夢なくしては叶いません」
じゃ、また明日!