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思いやりの心は何処から生まれるのかと云うと「信頼」や「受容」からのようです。
私も人間関係は信頼が一番大切だと思っています。
信頼が無ければ、それまでのことも一瞬にして消えてしまうからです。
そして、信頼があればその人のすべてを受け入れることができるからです。
良い所も悪い所も。
逆に言えば自分の良い所も悪い所も相手に晒すことが出来ます。
それが信頼関係だと思います。
そして一人1人が違うという視線に立って、お互いを認めあえば、
自分の見えていた世界がより広くなり、共に成長できるのではないかと思います。
人との関わりに於いても、他人が考えていることはその人以外誰にも分らない、
というのが本質かも知れません。
それがわかれば、他人を受け入れやすくなり、ジャッジすることも無くなると
思います。
「自分」の中には「見ている自分」と「見られている自分」がいます。
瞑想をしていると、「見えていないものに目を向ける自分」が目覚めてきます。
素直な気持ちで自分の心の底の声を聴くと、例え時間が掛かったとしても、
本当に自分がやりたかったことや純粋な自分に気付いてきます。
そしてその気付きは、自分にしか出来ない事を教えてくれます。
しかし、それが自分にとって良い事でも、相手にとって同じように良い事とは
限りません。
もしかしたら相手にとって押し付けになったり、有難迷惑になっていたり
するかも知れません。
私はこのパターンが多かったので、気を付けなければと思っています。
本質に気付きやすくなれば思いやりの心が生まれ、
信頼や受容が生まれやすくなります。
そして、思いやりの行動が生まれてくると、人のジャッジはする必要なく、
ジャッジフリーの世界が現れてきます。
気付きというものは自分を成長させてくれます。
しかしその気付きの深さはかなり深いようです。
「あっそうか」の気付きレベルではなく、
その行動の裏にはどんな気持ちがあったのか、
どのような心の動きによって、その気持ちが生まれたのか。
また、心が動いたのは何故なのか。
など、同じ気付きと言っても、かなり深い部分での気付きとなります。
そして深い部分だからこそ、相手を思いやり、より密接な関係になり、
信頼関係が生まれてくるのだと思います。
密接な心理関係ができると、時には相手の嫌がる事や、怒らすようなことも
言えるようになります。
そこで気を使っていたなら、本当の会話は成立しないと思います。
いつまで経っても、表面的な上辺の会話に終わってしまい、
言ったことで心が痛んだとしても、お互いの思いやりの心で回復していきます。
それがわかれば、ありのままを受け入れることが出来、相手を変えようとはせずに、
また自分の考えを押し付けることなく、認め合うことができるのだと思います。
「思いやり」とは、人生に対する本物の「愛」だと言われる方もおられますが、
まさしくそうだと思います。
相手を信じる心、相手を受け入れる心、相手を思いやる心、すべてが
「愛」に包まれていると思います。
本日のメルマガで、
心を受け入れると書いて「愛」となる
と、ありました。
心を受け入れるとは、相手の世界を受け入れることであり、
自分には自分の世界があり、相手には相手の世界がある。
そして意見の違いがあったとしても、自分次第でいくらでも統合して
繋がることができるのです。
そしてそれが「無償の愛」になって行くのだと思います。
じゃ、また明日!