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私たちは小さい時から「真面目に生きるように」と、親のみならず
周りからも言われてきました。
「真面目な人間になって、立派な大人になるように」と。
これはまさしく昭和の時代です。
真面目 =良い
不真面目=悪い
自分自身を振り返ってみると、真面目過ぎるが故の悪い部分が身に付いてしまった
ような気がします。
真面目が良いということで、小学校からずっと「真面目だねー」と褒めて貰っていました。
褒めてくれるから、自分はそれでよいのだと思ってしまいました。
確かに真面目の良い所は沢山あります。
しかし、それが高じると、それを他人に押し付ける時があります。
しかも無意識にそれが正しいと思っているから。
真面目過ぎると「我慢」「自己犠牲」「完璧主義」になりやすいとか。
まさしく、この3点セットが身に付いてしまい、知らず知らずのうちに
他人に強要しそうな時もありました。
もめごとが嫌なので、口には出しませんでしたが、
「私がこんなにやっているのに、どうしていつまでもお喋りしているの」
「仕事はここまでが完璧にするってことでしょ」とか。
心の中では時々感じていました。
多分それが表情に出ていたのだと思います。
これはたとえ口には出さなくても自分の中では、
「他人をコントロールしようとしている」ことだし、
「嫌われたくないから、他人が自分軸になっている」状態だったと思います。
と云う事は、この状態は、
「他人を信頼していない」し、
「自分が軸になっていない」ことだったと思います。
そして、人間である以上、完璧と云う事は無理なのに、完璧を求めていたのです。
色々な職場を見ていても、完璧を求める上司のいる所などは、
職場がギスギスしていました。
かと言って、ダラダラしている職場も困りますが、ギスギスしている雰囲気の所は
声が掛けられなくなってしまいます。
今思い出すと20代前半は特に「こうあるべき」で話していたと思います。
私の勤めていた職場は上下の差はあまりなく、役職者でも○○さんと呼んでいました。
よって、入ったばかりなのに、ベテランの先輩方に向かって、
「こうあるべき」だと話していたのを覚えています。
一般企業だと即、クビになっていたと思います。
かなり数年後、下着メーカーの株式会社ワコールが役職名で呼ばずに
みんな「さん」付けで呼ぶというニュースが流れていました。
「こうあるべき」というのも、今だからわかるのですが、
他人や自分に対していつもジャッジしていたのだと思います。
そう思えば、完璧というのは皆無に等しいのであるから、
「不完全さ」を楽しむ余裕を持った方が
「しあわせ」なのかも知れません。
そして全体として「不完全さ」の中で「より完全さ」を求めて行った方が、
上手くいくのではないかと思いました。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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