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日本の哲学者、心理学者である岸見一郎氏は、
「人間の価値とは行為によって決まるのではなく、
 存在そのものであることに気付いて欲しい」と、言われています。
そして「周囲の人と従属や依存の関係ではなく対等な横の関係を築き、
自分の人生を生きるべきだ」と。
私は「自分にはあまり価値が無い」と思っていました。
なぜなら「人の役に立つようなことは何もしていないから」と。
世間では「仕事が出来て、役職も収入も高い人が価値がある」と、
思っている人も多くおられると思います。
最近は少し変わって来ましたが少し前までは、
「いい大学に入って、いい会社に就職して、お給料を沢山貰って」というのが
親の望みのようで、だからいい大学に入りなさい。という風潮がありました。
言われた子どもも、それがしあわせへの道なのだと、言われるがままでした。
しかし、人は定年を迎えると「社会的地位が自分の価値なのだ」と錯覚していたことに
気が付きます。
気が付かない人が趣味の集まりでも、自分より年下であったり、会社が小さかったり
すると、部下に命令するような口調で話したり、我儘を言ったりしています。
そういう人を見ると、この人は仕事が出来なかったんだろうなと、思ってしまいます。
今問題になっている兵庫県の知事さんも東大出身でした。
この方も社会的地位が自分の価値だと思っておられる1人かも知れません。
私たちは何かをしないと価値が無いと思いがちですが、
存在自体に意味がある場合もあります。
お年寄りで何もしなくても、そこにいてニコニコしているだけで
その場の雰囲気が和みます。
役に立つかどうかでの評価ではないのです。
施設での事件など「年寄は役に立たないから、いなくなれば良い!」という考え方で、
どんどん殺していきました。
本当は役に立つよりも、意味がある方が良いのです。
存在価値と言われるように、そこにいるだけで雰囲気が良くなって
その場が明るくなるような人。
そういう人も必要なのです。
自分を生きると云うことは、上下関係ではなく横の関係だと思います。
そして、その横の関係は「共同体」の感覚です。
「人と人とが共にある関係」
だから人と人とは繋がっているのです。
自立した者同士が対等に結びついている。
その中に自分の居場所があり、心地よい空間がある。
運命を共にできるような共同体。
それこそが、対等な横の人間関係を築け、自由な自分でいられる関係だと思います。
私が私である為には、自分を生きることでしかありえないのです。
そして自分を生きなければ、
生きる意味が無いと言うことになるのだと思います。
学歴があっても判断・選択を間違えば人は付いてきません。
いくら命令しても、信頼はされません。
反対に、学歴が無くても人々に信頼され、この人について行きたい、
一緒に仕事したい、一緒にいたいと思われる人の方が何十倍、何百倍も
価値があると思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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