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人間には誰しも所有欲というのがあると思います。
お金やモノなどに囲まれていると、所有することに喜びを感じるかも知れません。
しかし、ここ2~3日の株価の乱気流を見ていると、面白いくらい価値のあった
お金が一瞬で無価値になり「無」の状態に頭を抱えた人もいると思います。
そして、かつて株で潤った人は、その所有を失った恐怖や不安で一杯だと思います。
本来はカタチのあるものでは無く、カタチのないものを所有する方が豊かな人生が
送れると思います。
それはお金でもなく、契約でもなく、条件が無くても愛してくれる「無償の愛」
のような、ただ一緒にいるだけで安心できるような存在。
そんな信頼できる仲間が、人にとっては価値があるのではないかと思います。
それは所有という概念ではなく、つながりという存在価値。
所有という概念を手放して行けば、カタチのないものに価値を見出していけると
思います。
今回のパリオリンピックのメダルを取られた方々も、皆さん
「仲間の応援があったから」「仲間と一緒にやって来たから」
「家族が応援してくれたから」など、信頼できる仲間や家族の存在がその人を支え、
メダルへと導いてくれたのだと思います。
これは「所有物の価値」ではなく、「きずなの価値」です。
目の前にいなくても、いつも支えてくれていると思う「つながりの信頼」が、
勇気を与え、後押しをしてくれるのです。
昔のオリンピック選手は、「つながりの信頼」よりも
メダルを取る事へのプレッシャーが大きすぎたと思います。
若い方は当然ご存知ないとは思いますが、1964年の東京オリンピックの
マラソンで3位でゴールした円谷幸吉選手。
1968年のメキシコオリンピックを目指していましたがその年の1月に自殺されました。
遺言の書き始めには
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、餅も美味しゅうございました」
と書かれてありました。
東京オリンピックで大人気となってしまい、その後さまざまな出来事の中で、
円谷選手は色々な事にさいなまれて行ったのだと思います。
その後ピンクピクルスという二人が、円谷選手をモデルとした「1人の道」という歌を
歌っていました。
♫誰のためにはしるのか 若い力をすり減らし
♫何のためにすすむのか 痛い足をがまんして
♫父さん許して下さいな 母さん許して下さいね
あなたにもらった ものなのに そんな生命を 僕の手で
♫だけど身体は動かない
とっても もう走れない
これ以上は走れない
この歌を聞いた時、国民のメダル欲が円谷選手の命を奪ったのだと強く思いました。
前回の東京オリンピック、今回のパリオリンピック。
国民はメダルの数を欲しがってはいません。
結果的にメダルの数が増えれば喜びます。
それよりも、家族のような眼差しで応援し、メダルを逃しても選手を責めたりはしません。
むしろ「よく頑張った!」とそれまでの努力を称えます。
これが繋がりだと思います。
よって選手も楽しんでやれるし「次はもっと頑張ります!」と次の目標を決められるのです。
「つながり」や「きずな」、「無償の愛」がどれほど人々に勇気を与えるか。
その価値の大きさに、人は救われて行くのです。
じゃ、また明日!