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ウェルビーイングとは、精神的にも身体的にも幸福感のある状態。
そういう意味では、私は幸福感がある状態だと思います。
昔は精神的には割と人に気を使って自分を後回しにしていました。
なぜなら、自分を先に主張しなければならない状況が別段無かったからです。
だから、いつでも「お先にどうぞ!」でやり過ごしていたのです。
しかしこれは、本当に自分を生きているかと言えば、そうでは無いような
気がしてきて、最近では自分の欲求を出すようになりました。
ウェルビーイングの幸福感というのは、トータルな面で「生きがい」を
感じられる人生だと思います。
それらは与えられるものでは無く、自分で見つけるものだと思います。
見つける源は、自分のものの見方、考え方になります。
自分の内的要素=自分のものの見方・考え方1つで幸せにも不幸にもなるのです。
単純な事ですが6月末にフィットネスジムが閉鎖されたので、
7月1日から自宅でストレッチをやっています。
7月が近付くにつれて、1人でやれるかどうか心配でした。
しかし、日常生活の習慣とは恐ろしもので、ジムに行っていた時間帯に家で
ストレッチをするようになって当たり前のように同じ時間帯にトレーニングウエアに
着替えてマットを敷いているのです。
そして当たり前のように2カ月目に入りました。
これも私にしては、毎日のしあわせです。
私は小さい時から「食べたい時に食べたいものを食べるだけ」というのがありました。
昔はよく我儘だと言われましたが、大人になってからは、自由に生きていると、
思っています。
反面「ねばならない」で自分を縛っていた時期もありました。
特に仕事では「こうでなければならないと」と自分で自分を縛り付けていました。
「ねばならない」から開放されるためには、自分の固定観念から開放されることであり、
それは、瞑想による内観の成果でも解放されたと思います。
瞑想をするまでは自分と向き合うと云う事は、無かったと思います。
いつも外を向いて、外と会話していたような気がします。
しかし、自分の好きな事を、好きなだけやっていると、
それさえも忘れてしまいそうになります。
これは自由に生きる欲求でもあり、好きな時に、好きな人と、好きな事を、好きなだけ
できる人生を送る事だと思います。
そしてそれこそが「自分を生きる」ことになるのだと思います。
結局は、自分のウェルビーイングは「しあわせ」になる事だし、
その「しあわせ」は、「生きがい」と背中合わせだと思います。
そしてその「しあわせ」は人から与えられるものではなく、
自分で見つけるもの。
自分で見つけるものであるなら、
死ぬまで「しあわせの頂点」を目指して
進み続けたいと思います。
じゃ、また明日!