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私は宗教の事はあまり詳しくないのですが、1つの教えとして、
「悟りを開く」というのがあるようです。
仏教の出発点は「人は思い通りにならないということを知る」ようですが、
これがわかれば楽になると思います。
なぜなら、人は自分の思い通りにしようとするし、思い通りにならなければ
苛立ったり相手を恨んだりします。
小さい子どもの発達を見ていても、自分の思い通りにならなかったら駄々をこねて
お店の前でひっくり返って訴えます。
思い通りにならない事もあるとわかってからは、時には我慢することも覚えます。
大人になっても同じだと思います。
人生は思い通りにはならないし、全ては移り変わって行くものであるし、
すべては繋がりの中で変化している。
しかし、自分のお金や地位や名誉、人間関係や健康など、変わらないと思っています。
家も仕事も災害が起これば一瞬で無くなってしまいます。
執着があるから、変わらないと思い込んでいるのです。
「窓際のトットちゃん」の学校「トモエ学園」校長の小林先生は、
空襲で炎に包まれている学校を見ながら当時大学生だった息子の巴さんに
「おい、今度は、どんな学校を作ろうか?」
「おい、今度は、どんなの建てようか」と言ったそうです。
あんなに大切にしていた学校が焼けただれるのを見ながら、その学校には執着せず、
「次どうしよう」と、先に進むことを考えているのです。
我々がこの場面と同じ場面に出逢ったとしたら、
焼夷弾を落とした相手国を恨み、憎しみで一生を終えるかも知れません。
あるいは意気消沈して、二度と立ち上がる元氣がなくなるかも知れません。
戦後の混乱期で学校は再開することはありませんでしたが、
小林先生の教育は続いていいました。
これも、自分がその状況をどう捉えるか、どう悟って行くかによると思います。
建物は無くなっても小林先生の教育は生き続けています。
私たちが後世に残していくのは、建物や形式ではなく物事の本質的な部分だと思います。
先ずは自分が何をしたいか、自分がどう生きたいかの部分が大切であって、
建物や手段は、その次だと思います。
結局は、良い意味で自分が何に執着するのか。
自分の外側に執着するのか、自分の内側に執着するのか。
それによって、自分が苦しむのか、楽になるのかの違いになると思います。
結局はトモエ学園としての建物としては無くなったけれど、
その場所には幼稚園があり、小林先生の教え子がその教育を引き継いでいるようです。
すべては繋がりの中で変化しているという事だと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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