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最近では血の繋がった家族でも平気で殺しているという事件が
多いように思います。
ひと昔前であるならば、家族、特に血の繋がった家族はお互い助け合い、
分け合って生きていくのが当たり前のようでしたが、現実は違うようです。
愛が憎しみに変わって行くのか、個というものが主張されすぎだしたのか、
兎角以前のように血の繋がりは重要視されなくなってきたように思います。
或いは、昔は忍耐だとか我慢だとか、自分を押し殺してまで共同生活をしていました。
しかし、今は個の重要性の方が尊重され、個々人が生きていくのを優先します。
世の中にはお互い話し合い、理解し合い、助け合う素敵な家族も沢山あります。
しかし反面、そうではない家族も沢山あります。
同じ屋根の下にいても、考えていることは話せるけれど、
感じていることは話せない。
もしかしたら、感じるということに気付けていないのかも知れません。
家族であっても理解しあえないのであれば、家族以外の依存先を考えても
よいのではないかと思います。
何もかも頼り切る依存という意味ではなく、べったり依存はしないけれど、
安心できる場というものを持っておく必要があるかも知れません。
無条件に許される空間というものは、自分が安心して存在できる所。
そういう場所を持っておく必要があると思います。
そういう場所は、自分が肯定された気持ちになり、
自分が自分として保たれるからです。
人は生きていくのに、自分が自分として保たれる場というものは必要だと思います。
辛い事も、哀しい事も、嬉しい事も、悲喜こもごも共に味わうことができる場。
そういう場というものは、どのような年代の時でも必要だと思います。
幼稚園や小学校の時でも、中学・高校の時でも、社会人になっても、
親という立場になっても。
自分を受け入れて肯定してくれる場所。
自分が自分として存在できる場所。
無条件に許される空間。
そういう場所があるから、何があってもバランスを保てるのだと思います。
最近は結婚しない人も増えています。シングルマザーも増えています。
昔のように、血の繋がりでいう所の家族という形だけでは、
納まりきれなくなってきています。
そして反対に、血の繋がりだけの家族がベストかと云うと、
そうでもないような気がします。
自分にとって一番安らげる空間。
その空間があれば、人は何があっても生き抜けるのではないかと思います。
「無条件に許される空間」というものを、
自分の人生の中に取り入れてみたいと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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