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私は瞑想を始める前までは「でも」や「だって」が頻繁に口から出ていました。
何かを言われてもすぐに「でも○○だから」とか「だって○○だもん」と。
つまりは言い訳ばかりしていました。
そしてその「でも」や「だって」が言い訳であるという事さえ、
自分ではわかっていませんでした。
その時はすべて目が外に向いていたのだと思います。
相手からどう思われるだろうか。
相手に嫌われないだろうか。
相手が了解してくれるだろうか。
良くない結果を誤魔化せないだろうか。
自分の責任ではないとわかって欲しい。
などなど。
では、それを解決するにはどうすれば良いのかと問われた時に、
「言い訳」が「課題」となって、解決の方向に向かざるを得ないのだと思います。
もしかしたら、私が「でも・だって」を口にしなくなったのは、
それを口にしたとしても、その先にある「ではどうするか」を問われるのが
わかっているから、問われる前に自分で答えを用意しておく必要があると
思っているからかも知れません。
「でも・だって」を連発すればするほど、では自分はどうするかになってくるのかが
わかって来たので、口に出なくなったのだと思います。
すべての事は、何をやっても自分が選択して決めたことだから、
自分が決めたことには、自分が責任を取るしかありません。
よって、そこには言い訳は必要ないのです。
数年前の私は、それに気が付いていなかったようです。
外側を見て生きていたのか、自分の内側を見て生きているのか、
その違いだったような気がします。
自分の内側に目を向けると、言い訳は自分に言っていることになるし、
尚更、自分が問われることになります。
結局は自分が発したことは自分に返ってくるし、
自分が決断したことは、自分が責任を取る覚悟が必要だと思います。
言い訳をしない人は、どんなことでも逃げないと思います。
逃げずに真正面から向き合い、対処していける人だと思います。
決断するという事は同時に覚悟を決めるということでもあるのです。
今までなかなか覚悟というものが出来なかったのですが、
それは、本音・本心・本気が足らなかったからだと思います。
覚悟を決めるという事は、やはり本音・本心・本気で取り組まないと、
決断は出来ないと思います。
そうなると、自分の辞書からは
「でも・だって」は消えていくのだと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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