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私たちは人を見た時、「好き嫌い」であったり、「憎悪」や「嫉妬心」で
決めつけてしまう時があります。
すべてが「いい」か「悪い」か、になってしまいます。
見たもの、見た事を感情で捉え、感情で判断してしまいます。
しかし、それを捉え、判断したのは自分だという事を忘れています。
忘れているから、相手を変えようとしてしまうのです。
相手を見る時は、自分側から見ています。
そして自分側から見えた部分で、一方的に文句を言ったり、非難したり、
意見してみたりします。
そして時にはご機嫌を取ってみたり。
これらは自分が中心で相手を変えようとしているのだと思います。
しかし、相手を見て感じた感情は自分自身の感情なのです。
相手を通してその時の自分の感情、自分の内側を
知ったことになるのだと思います。
私が相手を見て、私が感じて、私が「いい」とか「悪い」とか、
「好き」とか「嫌い」とか判断したのです。
すべては自分から出発して、自分に戻っていることになるのです。
私は若い頃は「白」「黒」つけたがる方でした。
今、瞑想をしているので「白黒の二つ巴」のイメージが出てきます。
「白と黒」「陰と陽」が組み合わさって1つの円になっています。
「白と黒」が絡み合って「白が黒になり」「黒が白になる」
「陰と陽」が絡み合って「陰が陽となり」「陽が陰となる」
これは他人との間ではなく、自分の中で起こっている事だと思います。
よって、「いい」と「悪い」がくっ付いてゼロになる。
「陰と陽」がくっ付いてゼロになる。
このように「無」の世界になった時に、自分の内側が整うのだと思います。
「善悪」も「憎悪」も「嫉妬」もすべては自分の内側で起こっている事であり、
1つ1つに判断を下すことなく、「これも自分か」と軽く受け止めれば良いのです。
ヴェーダ瞑想の教えでもよく言われていました。
「内側が整うと外側も整う」と。
結局は、相手を通さないと自分は判らないということです。
一度相手に投げかけたようにして、ブーメランのように返って来たことで、
自分を知るのです。
そして自分をその時知るから、自分が変われるのです。
自分のことをもっと知るためには、
相手を借りて自分がその時どう思うかを知って行くのです。
ここでふと思い出しました。
「問題が問題ではなく、問題を問題だと思うことが問題である」と。
すべては自分発信だったのです。
じゃ、また明日!