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最近、自分のことがわかってくると、
人に褒められていたことでも、こういう事だったんだと思うことがあります。
私は小学生の頃から親が病気になり、入退院を繰り返していたので、
親の面倒を見るのは当たり前だと思っていました。
しかし、それが「共依存」だったのだと納得しました。
共依存とは、
自分と相手が互いに過剰に依存し合い、その関係性に囚われている状態。
自分自身に焦点が当たっていない状態のこと。
自分自身を見失っている状態のこと。
最初に母親が倒れたのは私が小学校1年生の時だから、
振り返れば「共依存」はその時から始まっていたのだと思います。
大好きな母親が心配でずっと傍にいたい。
自分を犠牲にしてでも献身的に尽くしたい。
母親も心細いので、いつも傍にいさせたい。
症状を悪化させても傍にいて欲しい。
両者の欲求が一致していたのです。
よって、自立しようと思った時に、いつも親の具合が悪くなり、
お決まりのコースのように入院になっていました。
大人になって、その駆け引きがわかって来たので、
なるべく甘えさせないように、突き放す方向で関わっていました。
しかしやっぱり「私がいなければ」と、世話を焼いてしまうのです。
周りを見渡しても、夫婦であったり、親子の関係で「共依存」の人が目に付きます。
夫婦の場合は、夫に聞かなければ何も決断できない関係。
いつも夫の顔色を伺い、何を食べるかも確認している関係。
親子の場合は、子どもが何をするにも親に聞いたり、親の確認を取っている関係。
また、子どもが大人になると、親が子供の顔色を伺って言いなりになっている関係。
これらはすべて、世話を焼く方は世話をすることによって自分の存在を確認できる。
それは一見優しいように見えるけれど、結果として、
相手が自分で考え、自分でやれることまで奪ってしまう結果になります。
何処までやるかの駆け引きは難しいけれど、それで段々離していくと、
相手も解ってくるようです。
世話をして欲し依存者と、人の役に立って認められたい依存者。
このニーズが見事に一致して、
結果として「共依存」が深まるのだと思います。
小さい頃から「困っている人がいれば、助けましょう」という教えを、
守り過ぎたのかも知れません。
夫婦間の境界線、親子の境界線。
これらの適切な境界線を引く必要はあると思います。
相手のためと思ってやっていることが、結果的に相手をダメにしてしまいます。
そういう結果だけは招かないように気を付けたいと思います。
じゃ、また明日!