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よく「守破離」とか言って、「道」のつく師弟関係の在り方で使われています。
弟子は師匠を盗み見て、それらを身に付けていくとか。
音楽でも芸術系でも武道でも、料理でも「見て覚えろ」と言われます。
私が能面を打っていた時も私の師はその師匠から「見て覚えろ」と言われ、
何も手ほどきが無かったようです。
よって、私の師も同じようなやり方でした。
型を「守る」所から「守破離」は修行が始まるようです。
SNSではノウハウものが流行り、「こうすれば稼げる」とか「成功するにはこうする」
とか言ったようなことが、簡単に手に入るようになりました。
確かに、ただひたすらコピーすることも、身に付ける1つの方法かも知れません。
しかし、いつまでも表面的な真似ばかりでは、いつまで経っても
自分の身には付きません。
やはり、表面的なものを真似ると同時に、その人の本質的な部分も真似る必要が
あると思います。
なぜなら、本質的な部分を学ぶから、自分の身に付いて行くのです。
本質的な部分を学べなければ、いつまで経っても空回りに終わってしまうと
思います。
では師の本質的な部分を真似ぶというのは、どういうことかというと、
師の「ものの見方・考え方」「行動レベル」等だと思います。
それらの部分を真似て行かないと、本当の意味での「学ぶ」にならないと
思います。
師がどういうものの見方をしているから、そういう判断、選択をしているのか。
そしてそれを、どのような行動レベルに落としているのか。
行動レベルと言っても、自分が考えている行動レベルとは、けた違いに
レベルが違うと思います。
「蛇の道は蛇」ですから、いくら学んでも学びきれるという事は無いと思います。
今までの学校教育や、社会に出てからの学びも、今から思えば表面的な技術しか
学んでこなかったような気がします。
学ぶという事は奥が深いと思います。
しかし奥が深い分、学べば学ぶほど自分の世界が拡がって行くのも
事実だと思います。
どの人から学ぶのか、その師たる人の本質は何処なのか。
それらをきちんと見極めることが出来ないと、
人生の時間を空回りに使ってしまう可能性があります。
「学ぶ」為にはまず、徹底的に「真似ぶ」ことから始めないと
いけないようです。
じゃ、また明日!