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自分という人間は、自分で自分が見えている自分と、
他人から見えている自分は違う時があります。
自分自身の中でも、主観的に自分を見ている時と、客観的に自分を見ている時と
必ずしも一致するとは限りません。
これが他人との関係に於いては、尚のこと一致は難しいようです。
「自分のことをわかってくれない」「ありのままの自分を見てくれていない」
「相手のことがわからない」「相手に伝わっているのかどうかわからない」
これらが歪みとなって対立に発展してしまうこともあるようです。
自分が自分のことを知らない、相手が自分のことを知らないというのは、
信頼関係を築くまでには時間が掛かりそうです。
親子の関係であれ、上司と部下の関係であれ、仲間との関係であれ、
お互いが本当の相手を知らなければ、深い信頼関係は築けないと思います。
そしてその歪みが少しずつ大きくなっていくと、
相手を信頼することができなくなって意思疎通が難しくなってくるのです。
自分も自分のことを良く知っていて、相手も自分のことをよく知っている。
というのが一番理想の関係になると思います。
そして、其々が解放された自分、つまり主観と客観の一致した自分で
対峙することができたなら、隠し事の無い、常に自由で解放された
自分でいられるのだと思います。
自分も真の自分を受け止め、自分の気付いていない自分が居るということも
知っておく必要があると思います。
常に自分が自分でいられるのなら、無駄な力を入れる必要が無くなり、
信頼関係も築け、時間を掛けたい所に時間をかけることが出来ます。
そうなる為にも、自分のことを伝え、相手の事も受け入れることにより、
自分の中での主観と客観の一致、相手との主観と客観の一致をさせることで、
より開放された空間を作ることができると思います。
其々を知って秘密の無い状態になると、
生きやすい建設的な時間が過ごせると思います。
じゃ、また明日!