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「未見の我」(みけんのわれ)という言葉は、
未だ出会ったことのない自分。試練を経て成長した先にいる新たな自分。
という事で、幕末の武士・思想家・教育者として有名な吉田松陰の残した
言葉のようです。
未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。
心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。
必ず達成します。
運命を造りなさい。
という言葉から来ているようです。
人は自分の中に「まだ見ぬ自分」が沢山隠れていると思います。
それを自分が知らないだけです。
一般的には目に見える世界の「顕在意識」と、
目に見えない「潜在意識」があると言われています。
「顕在意識」は、我々の五感を通して感じる部分であり、カラダや物質の世界です。
「潜在意識」は、思考や価値観、哲学や感情、心などの目に見えない世界です。
「未見の我」と言えば、ほとんどの人は「潜在意識」の中に眠っていると
思われると思います。
しかし、ヴェーダ瞑想をしていると、今日知ったばかりの「未見の我」ですが、
「潜在意識」ではなく、その下の「純粋意識」の中に眠っていると思います。
「純粋意識」を知るまでは、土の上に「顕在意識」があり、
土の中に「潜在意識」があるイメージでしたが、その2層よりまだ下に3層目として
「純粋意識」があるイメージです。
この「純粋意識」は、人間の活動全ての基盤となっている生命の領域の事で、
自分の存在そのものであり、愛である部分にあたります。
潜在意識にある五感や心を越えた、或いはもっと自分の奥深い「魂」で体感する
真我の世界だと思います。
その世界にいるのが「未見の我」であるのではないかと思ったのです。
私自身、自分の恐れは何処から来ているのだろうと、ずっと思っていました。
しかし、いくら考えても答えは出ませんでした。
最近気付いたのですが、その怖れというのは自分以外の人に目を向けていた時に、
自分の意識が勝手に創り出していた恐れではないかと思い始めました。
そう思うと、もっともっと自分自身に目をむけて、自己内対話をすると、
その恐れは姿を消し、純粋に愛というものが身近に感じられるようになりました。
私は元々、信頼関係や絆というものを大切にしたい方でした。
よって、人との関係に於いても、素直な気持ちでぶつかって行く方です。
心の奥底にある、正直な本当の気持ちで。
その心の奥底の正直な所に「未見の我」が沢山いるような気がします。
そして、自分を認め自分を愛することによって、
「未見の我」を発見できるのではないかと思います。
まだ見ぬ自分、可能性を持っている自分を、どんどん発見したいものです。
じゃ、また明日!