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新聞の夕刊に易学会が翌日のオラクル(予言)として、誕生月ごとに書いています。
その中でふと目に留まったのが「散った花は元の枝に戻らぬ」という言葉でした。
これから桜の美しい季節になります。
どんなに咲き誇っていても、雨が降れば散ってしまいます。
桜に限らず、どんな花でも散ってしまえばもう元の枝には戻らないのです。
これは人間の命でも同じだと思います。
散った命は元には戻りません。
しかし、散った桜も来年にはまた見事な花を咲かせてくれます。
人間も自分の命が散っても、子どもや孫といった新しい命が連綿と続きます。
それは純粋な種がその命の中に宿っているからだと思います。
今、色々な場面で純粋な種が消えていくような気がします。
それは時代の転換期だからそうなっているのかも知れません。
本格的に風の時代になりつつあるから、
悪い部分がどんどん表面に出ているのかも知れません。
事件にしろ政治にしろ、呆れかえるようなことが平気で行われ、
それがまかり通ってしまいます。
問題が多い時代には、人は問題解決ができる新たなリーダ―を求めて移動する。
と言われます。
これも歴史が繰り返されるようで、
腐敗した無能なリーダーを「大量に見限る時代」を迎えるとか。
時代の転換点で、問題解決の出来ない組織、地域からは人は逃げて行き、
新しい希望と、安定や夢を求めて、人は違う組織や地域に移住をして
生活を始める。
それは時代について行けない旧態依然の企業から人が流出し、
新時代の変化を乗り越えつつある企業へ、人が吸い寄せられていくのに
似ています。
悪政が広がると、大衆は安定と新たな豊かさを強く求めます。
その想いは、腐敗した古い組織を見限り、新たなリーダーと新たな組織への
人的資源の流入の巨大なトレンドになっていくのです。
(三国志に学ぶ企業変革のすすめ 鈴木博毅氏より抜粋)
今の政治、今の日本そのものだと思います。
人間関係でも同じだと思います。
一旦離れてしまったら、もう以前と同じように元の戻るのは不可能だと思います。
しかし、私が希望を持つのは、落ちてしまった花は元通りにはなれなくても、
自然界の木々のように次の年にはまた新しい芽が生まれてきます。
散った桜そのものは、もう元には戻りませんが、同じDNAを持った新たな桜の花は
また咲いてくれます。
それが、その木が生き続けているという証ではないでしょうか。
散った花は元の枝には戻らないので、未練を残さず諦めて、
新たなこれからの新芽に目を向けるのが得策かと思います。
じゃ、また明日!