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寺山修司氏の言葉に、
「人は弱いから群れるのではない。群れるから弱くなるのだ」
というのがあることを、今日知りました。
この言葉を遠い学生の頃に知っていたらなと思います。
私は小さい時から近所に同じ年頃の子どもがいなく、幼稚園に行くまでは
集団というものを知らなかったのです。
よって、親の仕事場を眺めているか、野良猫と一緒にいるかの毎日でした。
そのせいか、集団生活が苦手で独りを好んでいました。
最初の刷り込みがそれだったので、独りは寂しいと思ったことが無いけれど、
むしろ集団が苦手になってしまったのです。
多分、幼稚園で集団になった時、お友達とどのように接していけばよいのか
判らなかったのだと思います。
そんな中でも仲の良い友達が出来、いつも一緒に遊んだり家を行き来したりしましたが、
私が私学に行ったので、疎遠になってしまいました。
私学の中学では初めての人ばかりだったので、そこでもまた集団の苦手意識が
ありました。
元々マイペースの性格もあり、いつもお友達とくっ付いてお手洗いに一緒に行ったり、
学校の行き帰りに一緒に行動したりができませんでした。
友達が遅刻しても来るまでバス停でまって一緒に遅刻になるというのが、
私には理解できませんでした。
それを仲間意識というのなら、私は仲間意識が持てないと思います。
社会人を見ても、群れている人は反対意見を言ったり、自分の考えを主張する
と云ったようなことはしていないと思います。
逆に忖度したり、仲間をかばったりはしているとは思いますが。
社会人になるという事は、個々人が意識として独立しておく必要があると思います。
上司の言いなりになったり、同僚の言いなりになったり、人の顔色ばかり見ていたら
本来の仕事が出来ないと思います。
チームプレイというは個々人が自立しているから、チームでより良い仕事が
できるのだと思います。
個々人が自立できていなかったら、そのチームは仲良しグループになってしまい、
より良い仕事は出来にくいと思います。
なぜなら、仲間の顔色を伺い、波風が立たないような所で妥協してしまうからです。
目的がより良い仕事をすることなのか、仲良しグループの雰囲気をこわさないか、
との違いです。
群れることによって、チームの仕事に対する結束はむしろ弱くなってしまうのです。
これはイジメのグループも同じだと思います。
仲間に合わせておかないと、今度は自分が標的にされる可能性があるので、
自分の意見を言えないのです。
イジメのリーダー格は、皆でやっているので罪の意識は薄いと思います。
或いは、罪の意識を誤魔化すために、仲間を引き連れるのだと思います。
社会人になってからでも、「群れる人」と「群れない人」がいます。
政治の世界で言えば「派閥」という名のもとに集まる人。
どちらが自立した人で、自分を生きている人なのでしょうか。
本来は個々人が自立して独立しているから、そういう人達でチームを組めば、
最強のチームプレイが出来ると思います。
「人は弱いから群れるのではない、群れるから弱くなるのだ」
その通りだと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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