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2月24日はウクライナ戦争が始まって丸2年。
そのせいか、今日21日は朝から「ウクライナの今」を取り上げ、
お昼のニュースでもウクライナの事が映り、夜のニュースでも触れていました。
戦争であっても震災であっても、日常の生活は取り戻さなければ、
その先には進めません。
ウクライナではハンバーガー屋さんで食べている映像は、日常そのものでした。
しかし、次の瞬間、警報が鳴るとお客さまは店員さんにお店を追い出されます。
食べている途中の人は手に持って出ていきます。
しかし、追い出されたお客さまは「何処に逃げろと言うのだろう!」と言いながら
地下に逃げて、非日常の時間です。
そして、暫らくして警報解除のアラームが鳴ると、お客さまは元のお店に戻り、
日常の生活のようにします。
この繰り返しはストレスが溜まるし、気持ちが安らぐことなど無いと思います。
この2年間は失ったものが多すぎます。
沢山の命、家族、友人、建物、住む所、仕事、電気・ガス・水道。
電気はまだ消える時があるので、ライトで生活する時もあるようです。
非日常の生活は震災も戦争も全く同じだと思います。
ライフラインが途切れると、当たり前にしていた日常が止まってしまいます。
その時初めてすべての事に感謝の念が出てくるのだと思います。
非日常の世界では、豪華な食べ物や高級な服、アクセサリー類には、
ほとんど、しあわせは感じません。
むしろ、カッターシャツにジーンズ、そして簡単な料理に、しあわせを感じるのです。
新婚の若い二人は、以前なら「夏にはどこどこへ行こう!」「来年はこうしたい!」
などと先の会話をしていたけれど、今は「明日はどうしよう」になって来たとか。
今は、1年後や2年先の事は何も保証がなく明日の事しか考えないようにしている
ようです。
メール1本、電話1本の中に、相手を思いやる気持ちが詰まっており、
何気ない会話の中にも「生きているしあわせ」を感じるなら、
それが一番しあわせなことなのかも知れません。
我々日本人は、当たり前に慣れ切って、感謝を忘れているように思います。
昔から言われていた「日本人の優しさ、感謝の気持ち」は、薄れつつあるのかも
知れません。
豪華な家がなくても、着飾るドレスやアクセサリーが無くても、
「しあわせ」は自分の身近にいつも転がっているのかも知れません。
ただ、それに慣れ切って、自分が見つけることができないだけかも知れません。
生きていることに感謝し、周りの人々に感謝し、布団の中で寝られる事に感謝し、
感謝を伝える人がいるのであれば、それほど幸せな事はないのかも知れませんね!
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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