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人は自分の置かれた場所にばかりいると、その状態に慣れ切ってしまって
周りが見えなくなってきます。
命を支えている水や空気というものは、当たり前にありすぎてその大切さが
見えなくなってしまっています。
しかし、それらが一旦無くなると生死に関わり、それらの偉大さがよく解ります。
特に日本に措いて「水」は、蛇口をひねれば出るのが当たり前でした。
しかし、震災などで止まってしまうと、いきなり水の有難さを感じるのです。
例えば家族でも普段一緒に居ると、時にはうざったく思う時もあるかも知れません。
しかし、子どもが遠くの大学に行くとか、夫が転勤になるとかでバラバラになると、
その存在に初めて気付かされるのです。
私たちは普段気付かない中で、自分にとって大切なものが飛び交っていても、
もしかしたらそれに気付かず、その大切なものを受け取っていないかも知れません。
昔、高校2年生の時に国語の先生から、
「アンテナを沢山立てておかないと、大切なものを受け取ることは出来ないよ」
と、言われたことがありました。
まさしくその通りだと思います。
自分の周りに「意識を向ける」という事は大切な事を見逃さないことにもなります。
その大切なものをキャッチするのは、「情報」や「思考」ではなく、
「心」と「感覚」だったのです。
「情報や思考」は大切だと思っていた時もありましたが、SNSが溢れかえると、
プラスの情報に比例するくらい、マイナスの情報も溢れかえります。
そんな時、自分は何を受け取り、どう考えるのか。
情報過多になり、マイナスの思考に溺れてしまう可能性もあります。
思考(まわりの事態に応じて課題を解決していく過程)はプラスばかりだとは
限らなかったのです。
私は、起こりもしない先の不安や心配に囚われてしまい、
時には自分を見失うこともありました。
その時は「情報や思考」に溺れていた時だと思います。
これだけ情報が溢れ出すと、何が正しいか判断するのも難しくなりますが、
その判断は思考ではなく、「心」と「感覚」(物事のとらえ方、感じ方)が
大切になってくると思います。
より広い世界、より深い世界から見た自分というものを捉え、
今ある自分に感謝しつつ、当たり前の状態を認識する必要があると思います。
そして、地球上の震災や戦争で日常を失ってしまった方々の、一日も早い
当たり前の日常が戻ることを願います。
じゃ、また明日!