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SNSでの言葉やコメントを見ると、主語を書かずに、
自分がお客さんのような立場で書いている人が多いように思います。
誹謗中傷とまでは行かなくても、なにか印象操作っぽい書き方をしている人も
見受けられます。
そういう時はたいがい主語がありません。
本人の主語なくして「世間では」とか「世間から見たら」という言い方になっています。
私も以前はそうであったように思います。
その時は自分の価値観がなく、世間の価値観が正しいと思っていて、
自分を世間に合わそうとしていました。
しかし「世間」が正しいとは限らないと気付き始めてからは、
自分の価値観が芽生え始めました。
「世間では」「世間からみたら」と言う発想は
「自分もどちらかと言うと、そっちの判断だけれど・・・」その考えには
責任を持つ自信が無いから、世間の人を引き連れて発言します。
と言った感じかなと思います。
価値観は一人1人違います。
違うから、自分の価値観と相手の価値観を擦り合わせるのであって、
人数を引き連れての価値観は、得体の知れない価値観になってしまいます。
そうなると誰と戦っているのか分からなくなり、だから余計に自分が責任を
取りたくないのです。
自分で自分の責任を取れる人は、誤解されようが文句を言われようが、
批判や非難が正しくないと思えば、自分の道を進みます。
自分の道を歩みながら人々から信頼を得て行くのです。
それが解りかけたら「世間では」と言う言葉は自分の口から出なくなりました。
反面、主語を入れるようになりました。
SNSでの主語抜きは、特に1対1で相手と向き合えない人が多いように見受けられます。
イジメも1人ではやらなく、必ず仲間を引き連れて、それぞれの責任を逃れようとします。
自分がやりたいなら自分1人でやればよいものを、仲間を強制的にでも連れてきます。
そして、その仲間内だけで「皆がそう思っているから」と、勘違いしています。
昔イジメにあった人が「本当に強い文句は数さえ吹っ飛ばす」と書かれていました。
そうだと思います。
強くないから集団で動き、集団で罪をなすり合い、自分から逃げているのです。
相手と言い合いをするにしても「自分の言葉を持つ」という事は大切な事だと思います。
「自分の言葉を持つ」という事は、自分の価値観を持つということでもあるし、
「自分を生きる」という事でもあると思います。
結局は、自分と向き合えていない、己を知らない人が、自分の言葉を持たずして、
人を批判しているのではないかと思います。
そういう私も「世間から見たら」という言葉を使っていたような気がします。
最近は「皆が」とか「皆さんが」と言う言葉を使いますが、それは実際に複数の人も
同じものを見て、同じ場面を見て言っている場合に使っていると思います。
しかし、それも「私が」で言えるものだけで良いのではないかと思います。
自分の生き方、自分の言葉は、自分しかいないのです。
たまたま他の人も同意見であったとしても、その人達を引き連れてくる必要は
無かったのです。
「私は」で徹する方が信頼を築いていけると思います。
よって「世間からみたら」を卒業します。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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