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人は自分の中に二人の自分がいるようです。
自分だと思って生活している自分と、自分の知らない自分と。
人は物事を見る時に、思い込みや感情で捉えることが多いと思います。
その時に正しく物事を見ることができなくなるのです。
物事を見る時は自分の価値観で判断すると思うのですが、
その時に邪魔をするのが自分のトラウマであったり思い込みです。
それらはどこから来るのかと言えば、
小さい時の経験や、その時に感じた恐怖です。
その恐怖が大きくなるにつれて自分の心の奥に隠されていってしまうのです。
しかし、隠れて完全に無くなってしまうのかと言えばそうではなく、
何かを感じた時には顔を出してくるのです。
人間関係に於いても、もう一人の自分は時として顔を出す時があります。
「何かあの人嫌だな」とか「あの人は受け入れられない」とか。
なぜ嫌なのか、なぜ受け入れられないのかと言えば、
よくよく考えれば自分のイヤな部分と似ている所があるからです。
私は父親とはそうでした。
仕事一筋の父親でしたが、何か嫌な部分があるなと思う時は、
自分の嫌な面と同じものを父親の中に見た時でした。
結局、父親は私の鏡だったのです。
自分の嫌な部分を自分が分かっているから、それと同じものを相手に見ると、
嫌悪感を感じてしまうのです。
相手は自分の鏡であるとわかった時、相手の嫌な部分は自分の嫌な部分だと
受け入れることが出来、相手の言動が理解できるようになりました。
相手を少しでも理解できるようになってくると、自分の思い込みや感情が修正され、
今まで見えていた世界が、急にオセロゲームで白黒がひっくり返ったように、
見える世界が違ってきたのです。
その世界から見ると、同じ所を見ていたはずなのに、見え方が違い、
極端に言えば全く逆の見え方にもなった別世界です。
それを思うと、自分の中のもう一人の自分を知るということは、
非常に大切な事だと思いました。
嫌悪感を感じていた人でさえも、自分と似た部分、自分と同じものを
持っていたと分かると、その嫌悪感は薄れて違う捉え方になって来るのです。
自分の中のもう一人の自分。
それもまぎれもなく自分自身なのです。
二人の自分を上手く使い分けながら、
社会生活の中で自分を守っているのかも知れません。
この二人の自分が一人になった時、
人は生きやすい自分になるのではないかと思います。
知っているようで知らない自分。
もう少し自分の事を知る必要があるなと思いました。
じゃ、また明日!