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人と繋がるには「共通言語」が必要と言われます。
人とコミュニケーションを取るには、言葉が必要です。
しかし、その言葉は同じ単語であったとしても、伝える側と受け取る側では、
その想いに大きな開きがあります。
その開きと言うのは、その人の体験に基づいた言葉によるからだと思います。
例えば震災があった時に「大変だね!」という言葉1つを取ってみても、
自分が震災に遭った時は家は大丈夫でも水や電気などライフラインが止まって
大変だった人は、ライフラインが止まった生活を思い出して「大変だね!」
という言葉を使います。
また、家も仕事も失った経験をした人は、これから先の何年、何十年の苦労を思って
「大変だね!」の言葉を使います。
同じ言葉なのに、その意味合い、深さに差があるのです。
共通言語は同じ体験をベースにした言葉と、そこに乗っている体験や思いが
一致している言語のことだとか。
そうなると全く一緒の体験をしないとコミュニケーションが取れない
ということになります。
しかし、会社など同じ職場で家族よりも長い時間を共にしているのだから、
共通言語はあって当然だと思います。
にも拘らず、社員によって受け取り方が違ったり、上司が部下に考えを伝える量が
それぞれ違ったりして、共通言語を使っているのも拘わらず、受け取り方に違いが
出てきます。
或いは、全く同じような経験をしないとお互いを理解できないとなると、
自分と同じ境遇の人とでないとコミュニケーションが取れなくなります。
それでは人との繋がりが拡がって行くことができません。
そうなると、共通言語の前に自分自身を言語化して見る必要があると思います。
具体的に色々な面を持った自分の骨格を抜き取って抽象化して見る。
自分と言うものを、自分がよく知る必要があると思うのです。
そして、その抽象化は1つしかないので自分の本質に当てはまるのだと思います。
一度抽象化した自分を言語にしたのが「言語化」というのであれば、
「例えば」で、自分を具体的に説明できると思うのです。
その作業の繰り返しの中で、共通言語による相互理解が出来てくるのでは
ないかと思います。
共通体験の少ない相手に対しては、その言葉に乗っている体験や思いを理解し、
共感していくことで、信頼関係を築いて行けるのではないかと思います。
そうでなければ、映画や本などに出てくる人物とは永遠に共感出来ない
ということになりますから。
言葉や台詞以外でも、目に見えないもので相互理解は出来ると思います。
「言葉の背景にあるものを読み取りなさい」と言われるのもそうだと思います。
そこには、言葉に出来ない感情が隠れていることもあります。
よって、言葉の文字だけで判断してしまうと、相手の本質が見えなくなります。
何事も言葉だけでは完結せず、そこには五感や信頼も含めたコミュニケーションが
必要だと思います。
ただ、同じ体験による理解の方が効果的で速いとは思いますが。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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