タグ:
「事実と解釈は切り離して考えろ!」とはよく言われるのですが、
なかなか難しいものだと思います。
なぜなら、解釈は感情になって来るからです。
自分の中で「あの人はいつもああいう人だ」と思っていると、
事実は同じなのに解釈の時に、
「あの人はいつもああいう人だ」というフィルターをかけてしまうからです。
そのフィルターは今までのその人との関係による経験からかけてしまうかもしれませんが、
もしかしたら、事実に対して、自分の感情が込められているかも知れません。
という事は、その時自分がその事実をどう解釈するか、自分の感情はどうして欲しいのか。
それらがわかってくると、
冷静な解釈ができて自分の本当の目的が見えてくるのかも知れません。
事実と感情の切り離しは、自分を客観的に見ることが出来、
自分の本当の目的も見えてくると、自分の「認知」を見つけることができます。
「認知」を見つけたら、「目的」もよりはっきりとしてくるのかも知れません。
SNSでは誹謗中傷が頻繁に行われています。
誰しも自分が誹謗中傷されたらイヤだと思うし、少なからず傷つきます。
傷つく人は生死にかかわる所まで追いつめられる時もあります。
しかし、同じ言葉を投げかけられても、あまり引っ張られずにいる人もいます。
そういう人は、常日頃からの考え方や価値観で出来事の意味を決めています。
よって、自分の考えに自信があるので、外野の声は気にならないのだと思います。
すべては自分の解釈次第だと思います。
よって、誹謗中傷する人には構っている時間が無いのです。
相手をどう解釈するかは信頼関係にも繋がると思います。
同じ人物をSNSや人の噂の色メガネで見てしまえば、信用もすぐに失います。
しかし、自分がその人自身を信じきっていれば、人の噂やSNSでの誹謗中傷などに
惑わされることなく、今まで通り信じていればいいのです。
そこには事実に対する解釈とその人を信じきる愛があると思います。
そして、その解釈と愛が信頼を生むのだと思います。
信頼関係は無条件です。
例えば、親が子どもに対して「100点取ったらディズニーランドに連れて行ってあげる」
と言うのは条件付きです。
「試験勉強を一生懸命やったら、終わったらディズニーランドに行こうね!」は
点数の条件なしです。
例え50点でもその子なりに頑張ったのであれば「よく頑張ったね!」の親の愛情での
ディズニーランドです。
無条件に信じることと、無償の愛が「信頼」を生むのだと思ます。
条件がない関係はどんな時でも応援することができます。
その人の存在そのものを信じているので、何があっても信じきることが出来るのだと思います。
その一番の関係が親子の関係だと思います。
親子でなくても、相手を信じ心から応援したいと思うなら、
何があっても無条件の信頼と無償の愛で相手を助けることが出来ると思います。
今回の令和6年能登半島地震に於いても、そういう人間関係が、
あちこちで生まれていると思います。
じゃ、また明日!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

投稿者

jibunoikiru@gmail.com

関連投稿

タグ:

2280枚目■ 行動と言葉を一致させる

「言行一致」とよく言います。口で言っている事...

すべて読む
タグ:

2274枚目■ 「無理」「ならどうする」

何かをやろうとする時、或いはやりたいと思う時...

すべて読む
タグ:

2235枚目■ 何を捨て何を残すか

私は昔から「マイナスの美」の美しさが好きでし...

すべて読む
タグ:

2233枚目■ 自分が自分をどう思うか 

私たちは人目を気にして生きている場合がありま...

すべて読む
タグ:

2232枚目■ 目的の為なら共にやれる

今回のNHK「新プロジェクトX」は、世界遺産...

すべて読む
タグ:

2231枚目■ 共に目標を達成する能力 

人が他人と協力し共同の目標を達成する能力は、...

すべて読む