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1995年1月17日は「阪神淡路大震災」の日です。
昨日あたりから新聞や関西のTVでは「あれから29年」と、
当時の写真や映像が流れています。
2024年1月1日は「令和6年能登半島地震」の日です。
地元神戸新聞にはどちらの状況の写真も出ています。
潰れた家々、ひび割れた道路、避難所生活。
文章を読まなければ、写真だけを見ていると神戸の震災か能登半島の地震か
区別がつかない位同じような写真でした。
そして神戸の人々は1月17日を思い出すと同時に、今年は能登半島に思いを馳せ、
「今頃は厳しい生活を送られているだろうな」と神戸と能登半島を重ねています。
毎年行われる追悼行事「1.17のつどい」では4000本の竹灯籠を高校生たちが並べて
文字を浮かび上がらせますが、今年のテーマは各地の震災を思い「ともに」です。
「1人じゃないよ」「一緒に」「寄り添い続ける」と言う意味を込めて、
「ともに」に決まりました。
震災を経験している人、経験していない世代が「ともに」語り継いでいこう!
という気持ちが込められています。
例年、三宮東遊園地での追悼行事では、発生時刻の午前5時46分に黙とうをしますが、
今年は能登半島地震の発生時刻の午後4時10分にも黙とうをし、
募金の一部を被災地に寄付する予定とか。
今後、建物や日常生活は少しづつ復興していくでしょう。
しかし、心の復興には非常に時間が掛かると思います。
逆に時間をかけないと、震災の全てを受け入れることが出来ないのだと思います。
「苦しい時が上り坂」と言われるように、1歩ずつでも進んで行けば、
気付いた時にはずいぶん高い所へ来たものだと思う時が必ず来ます。
泣きたい時は我慢せずに泣けばいい。
思っている事を書き出してもいい。
誰かと話をするのもいい。
時には素直な気持ちを吐き出せばいい。
苦しみには必ず終りがあります。
諦めなければ、ふと重荷が外れる瞬間がいつか訪れます。
今、能登の方々が味わっている苦しみは、神戸や東日本各地、熊本の方々が
味わったことのある苦しみです。
そして、それぞれの人々が乗り越えています。
決して1人じゃないし、寄り添い続けてくれる人々もいます。
だから今年は「ともに」乗り越えましょう!という気持ちが強いのです。
私たちは震災が来るたびに、根っこを太くしていきます。
目に見えている「葉や花」は冬が来れば枯れていきます。
しかし、目に見えない根っこは厳しい冬でも雪の中でも幹を支え続けています。
「根本」がしっかりしている木は「動じない」のです。
不遇で困難な時こそ、人間の真価が問われるのです。
日本の政府は真価が問われたと思います。
民間人が迅速に動いているのに、どうして今の政治家は動けないのでしょう。
高給を貰っていると、全てが他人事にしか映らないのかも知れません。
それらは今、苦しんでいる人達の税金から支払われていることを、
ご存知じゃないのかも知れません。
動けない政治家は、政治家としての役目を果たしていると言えるのでしょうか。
我々の選挙の結果が、今の日本政府の現実です。
これからの日々の中で、我々は根っこを強く張って行くしかないのです。
いつか希望が持てる日まで「ともに!」
じゃ、また明日!