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仏教では「さとり」が一段違うと、知恵に差があると言われます。
セミは地上に出てからは、7日間しか生きられないと言われます。
夏の熱い盛りのたった7日間です。
よってセミは春も秋も冬も知りません。
セミにいくら春や冬の話をしても、想像もつかないと思います。
そんなセミに雪の事や桜の話をしても、セミにとっては全く通じない話です。
例えば登山にしても、東口から登る人、西口から登る人、南口から登る人、
北口から登る人、それぞれ上る途中の景色は全く違います。
登っている途中に携帯で景色を伝えても「海が見える」と言う人もいれば、
「湖しか見えない」と言う人もいれば、「海も湖も全く見えない」と
言う人もいると思います。
しかし、それぞれが頂上に辿りついた時、
相手の言っていることが理解できるのです。
嘘だと思っていたことを自分の眼で確かめることが出来たからです。
という事は、同じ「さとり」の人でないと100%伝わらないのかなと思います。
富士山の5合目で景色を見ている人と、頂上から景色を見ている人は
見えている景色が違うのです。
四方八方全体を見た話をしようと思えば、やはり頂上まで登ってきた人と
話すしか理解して貰えないのです。
逆に自分が5合目で止まっていると、いくら頂上まで登った人が全体の景色を
説明してくれても、100%同じ景色を想像することは出来ないのです。
もしかしたら私たちの日常の会話でも、このような現象が起きているかも知れません。
ただ、自分が気が付いていないだけで。
よって、相手とお話をする時も自分がどのあたりにいるのか、
相手がどのあたりにいるのか、立ち位置を確認しないと、
いつまでたっても話が並行線のままで終わってしまう可能性があると思います。
視野の広い人と話をしたければ、自分が視野を広げておかないと、
折角の話も正しく受け止めることが出来ないのです。
先のセミの話ではないけれど、夏しか知らないセミの夏の話と、
春夏秋冬の全てを生き抜いて来た他の虫の夏の話とは、
やはり夏に対する知識は違って来ると思います。
同じ夏を語るにも、7日間だけの夏で語るのか、
365日の中の夏を語るのか。
もしかしたら自分は7日間の夏だけで全ての夏を知っていると思い込み、
話をしているのではないかと、少し不安になってきました。
自分の視座・視点・価値観を高める必要があるなと思いました。
じゃ、また明日!